闘病明けて、新年…そして近況報告 [寛解後の記録とまとめ・その1]

謹賀新年。闘病生活を終え、やっと健康人としての新年を迎えました。
後厄も終え、凶事は昨晩限りできれいに過ぎ去ってくれたはず。

「寛解」との診断を受け、治療を終了してから、
1度もブログを更新しませんでした。
昨年のスケジュール帳を繰れば、最終診察日は7月28日。
「病気」でなくなってから、実に5か月が経過したことになります。

治療終了を機にブログを終えるつもりはありませんでしたし、
投薬や診察の終了が「万全な回復」を示しているわけではないのは重々承知、
むしろこれからの生きかたが大事、との思いはありましたが、
待ちに待った闘病生活の終わりを迎え、「もう病気から離れたい」とのきもちもありました。

また、堰を切ったようにいろいろなことがしたくなり、
時間を見つけては映画を見たり踊りに行ったり、ライブを見たり、お酒を飲んだり、とても忙しくなり……。
しごと量もたくさんこなせるようになってきましたし、
ひさしぶりに好きな人ができ、時間だけでなく、きもちもいっぱいになってました。
(思いは実らなかったけれど、病中のわたしからしてみれば、恋するとはこれ、大きな進歩!!)

生きる喜びを謳歌できるって、ほんとにいいですね。
多くのひとからしてみれば、なにも特別なことはしていない、
いたって平凡で地味な生活ですが、わたしの視界には、世界は美しく甦ったのです。

さて、とは言っても、
「病後」の自分が100%バラ色、などということでは到底あるわけもなく、
現在でもいくつかの症状に引き続き悩まされ、改善の気配もなく、
「これはもう一生治らないのでは?」と薄々感づきはじめたりしています。
闘病中はとかく、治療の終了を最終目標に設定してしまいがちですが、
うつ病とは、いまのわたしの感覚が正しければ、「一生つきあう病気」なのだということ、
新年というこの改まった時季に、自分の頭を整理する意味でも、
「寛解後」の症状について、何日かをかけてまとめてみたいと思います。

まずは、治療終了日の診察について。

この日は2度目の「箱庭療法」の結果を聞きました。
過去の日記を読み返すと、箱庭を作成する作業は、
1度目に比べ、ずいぶんとスムーズに楽にできた様子。
主治医の先生も「とても元気になっていますね」と太鼓判でした。

1度目の箱庭療法では、荒涼としたさびしい情景を造形したわたしが、
今回は色彩もオブジェクトもたくさん用いて、にぎやかで楽しい造形ができたこと。
これは心身ともとても健康になってきている印、とのことでした。

ただ、主治医の先生は、何を判断材料にしたのかは伏せながら、
今回のわたしの箱庭は、
「“がんばりたい”という意欲が確かにあるのに、実際はがんばることができないでいる」
そんな状態を示しているとおっしゃっていました。

「けっこう元気なんだけど、いま一歩踏み出せないんだよね。」

こんな状態は、いまでも続いています。
単なる怠け癖とも言いますが(笑)、
やっぱり自分に自信がなく、踏み出すことで傷ついたり折れてしまったりすることを、
とても恐れているのだと思います。
これは、傷ついたり折れてしまったりする事実そのものよりも、
そんな状況に面したとき、自分に乗り越える力がないのではないか? という恐れです。

| | コメント (80) | トラックバック (0)

つらいです。コワイです。

断薬がはじまってからもう3週間? たぶんそのくらい。

最初はとても順調だったのに、10日ほど前から調子がおかしい。
(薬のせいかどうか、わからないけれど)

行きたかったはずの映画に無理やり行ってみる。
ひとりで行ったのが悪かったみたいで、上映後、さびしいきもちになる。
かと言って、ひとに会いたいとは決して思わない。
延ばし延ばしにしていたショッピングをしてみようかと思う。
すぐ目の前にある売り場の商品が、いくら手を伸ばしても手が届かないもののような気がする。
自分とはまったく関係のない、遠い物体に見える。
おいしいものをたらふく食べてみる。
とってもおいしくて、楽しい時間だったけれど、
食べ終わった後は、食べ過ぎてしまった罪悪感がほんのり漂う。
先週末はそんな感じでした。

なので、今週は、いろんな予定を中止にして、からっぽの時間を多くとってみた。
「“月のもの”がはじまってしまえば、またケロッとよくなるだろう」と、
つらい1週間ながらも、あまり深刻には考えていませんでした。

で、今週末になっても、ちっとも上向きになってこない。

先週に引き続いて再び、
週末にやっておきたいことを、ひとつ、またひとつと中止にした。

楽しみにしていたことが次々と中止になり、
なんだか荷が下りたようでほっとするのと、がっかりするのと。

幸い、家には録りためたビデオがいっぱいと、
読みたい雑誌がいっぱい買ってある。

でも、まったく手が伸びない。

それでも無理やり、
こころ暖まる人形アニメとか、
お笑い番組とか、
行きたい旅先の番組とかを見てみる。気分が晴れない。

やることがなくなったなら、せっかくだから、
少しは掃除に精を出したり、
母の家事でも手伝ってみようと、何度も思うけれど、からだが動かない。
家の中で、わたしだけが怠け者だ。
たとえ家事でも、楽しくないことでも、からだを動かしたら気が紛れるかも。
そう思うけれど、どうしても、どうしても行動に移せない。
それは、夏休みの最後に宿題をしなければならないこどものきもち。

そして、やることがなく、退屈。
退屈なのに、そのほかにやりたいことはなにもない。

母が外出して、ひとりになった途端、
悲しくて、むなしくて、情けなくて、
涙がどんどん溢れてきた。嗚咽が漏れてきた。

そんなにイヤなら、自分でなんとかすればいいのに!

自分に腹が立つ。バカみたい。それでも、なんにもしたくない。

もしかして、わたしはこのまま、また病気に戻るのかな……

すごく、コワイです。

来週、病院に行ってみようか???

実は、最近このブログが暗いトーンの話題ばかりなのも、気に入っていない。
でも、家族の前でも、友人の前でも、そして会社でも、
つらい自分を見せられない以上、ここでなにかを書いて、
少しでも自分を落ちつかせるしかないと思っています。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

先生以外は誰も理解しない。家族も、友人も。

この1週間ほど、けっこうダウナーです。

チャーチルの言う、「わたしの黒い犬」が来ています。

悲しい思い出ばかりが思い出されたり、
ウツウツイライラジメジメからどうしても抜け出せなかったり、
極度の疲労感に襲われたり、
どうしようもなく頭がボーーーーっとしたり。

そして極めつけは、
「自分の周囲のすべてのもの&できごとが、
透明な壁1枚隔てて、けっして触れられないように感じられる」

これ、うつの症状がひどかったころ、頻繁に感じていた感覚です。

ひどくツライので、
「あ~、調子悪い。かなり具合悪い」と口に出すのですが、
周囲のひとには到底、理解しがたいようです。

それに、誰かがまわりにいると、けっこう無意識のうちに、
しこたまガンバッテ、平静をつくろってしまうものです。

毎日、わたしと一緒にいる家族でさえ、
「え、ほんとにそうなの? 全然そういう風に見えないけど。」
「あ、具合悪かったんだ~。まったく、気がつかなかった。」
と、いつも不思議がっています。

何度、職場にうつ病であることを告白しようと思ったか……
「言ってしまえば楽になるのに!!」と、幾度も思いつめました。

結局、時間が解決するものだと、自分でもわかっています。

でも、確実に、調子が悪い。

この6日間で、
習いごとを2回お休みし、
友人との約束を2回キャンセルし、
友人からのお誘いを2度、断りました。

いろいろなことを軽減して、やっとのこと、保っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

突然の最終宣告

「では、1ヶ月後に、あと1回だけ診察しておしまいにしましょう。」

今日の診察でいきなりの「最終通告」を受けました。
主治医の先生は、
もうわたしが相当、元気を回復していると見ているようです。
順調にいけば、次回の診察を最後に、通院卒業です。

さて、それを聞いたわたしは、
小躍りして喜んだでしょうか???

長かった通院。治療。
道のりがこんなに遠いものだとは、思っても見ませんでした。
はやく完治が認められて、はやく服薬も卒業して、はやく健常者に戻りたい。

ずっと、そう願ってきたはずなのですが……

診察室でのわたしは、
モヤモヤとした不安とほんの少しの落胆がない交ぜになって、
胸のなかに黒い雨雲がムクムクと広がっていきました。

なぜなら、いままでのわたしの苦しみ、不安、悲しさ……
そういったものをしっかり理解して、きちんと受け止めてくださったのは、
主治医の先生よりほか、いなかったからです。

もっとも、最近の診察では、わたしは毎回、
「変わりありません。元気です。とくに話すこともないです」
などと言って、意味があるのかないのかわからないような診察を、
ものの5分で切り上げる始末でした。

けれど。

定期的に主治医の先生に診てもらえる、話を聞いてもらえる、
という安心感は、わたしにとってとても大きな支えで、
最後に逃げ込める砦のようなものでもあったわけです。

これを予想していたより早く、しかも突然に失うことは、
それほどうれしいことでもないような気がして。複雑です。

自分でも想像していなかったこころの動き。
正直、「まだ甘えていたい」というきもちがあるのかもしれない。
でも、それをおくびにも出さずに、至ってクールに、
主治医の先生にはお別れを告げるのでしょう……わたしって、カワイクナイ!

ところで、今日は2度めの「箱庭療法」を行いました。

迷ったり、考えこんだり、億劫になったりすることもなく、
前回と比べて、1/3ほどの時間でパパッと完成しました。

テーマは「プランテーションを営む南国の幸せな小島」。

前回に引き続き、完成品をパチリ! しようとしたら、
またしてもカメラのバッテリーが切れていた……(涙)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

「ごめんなさい」の安売り

ほんとうは、自分が悪いとも思っていないのに、
相手の雰囲気に気おされてつい、
「ごめんなさい」と言ってしまう人は、うつ病になりやすいと読みました。

わたしは精神的怠け者なので、わりとこれを連発しています。

日常のいろいろなシーンにおいて、
先々に起こるかもしれない争いやいざこざのことを思うと、
つい面倒になって、軽易に「ごめんなさい」を言ってすませてしまうのです。
「謝るのはタダ」と思っているし……

でも、それって何の解決にもなっていないし、
自分にとって余計なストレスになることもあるだろうし、
なにより、相手に対して不誠実な態度かも。

イケナイ、と思ってはいるのですが、ついやってしまったり……イカンです。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

怒り感情のコントロール

服薬を卒業したうれしさで飲みすぎてしまい、
明けがたから激しい頭痛と吐き気に襲われています。
今日の予定はすべて棒にふり、
家でおとなしく録画番組を見る始末に……反省しきりです。

昨晩はひさびさの友人とも会え、うれしいお酒の席でしたが、
ちょっとザンネンなできごともありました。
ほんとうにささいなことですが、わたしの怒りはカンタンにはおさまらず……

最近、どうもあまりうれしくないできごとが続きました。
どれもたわいないことですが、
一度着いたちいさな怒りの火は、すぐには消えてくれません。
それどころか、そのことで頭もこころもいっぱいになってしまい、
ほかのことが何も考えられなくなり、
しかもそのことが、いつまでも胸のうちでくすぶっています。

怒りを表現したい相手に対しては、
怒りの「い」の字も見せません。もののみごとに。
だから、余計にイヤな感情がなかなか消化できないらしい。

わたしの現在の生活は、
病前の「ふつうの」生活と比べると、
まるで無菌室のように、
ストレスや、ネガティブなできごとをシャットアウトしています。
日々を忙しく働き、自活生活あるいは家庭を支え、
会社や社会により大きく貢献しているひとたちが、
随時、直面しているプレッシャーやらいさかいやら摩擦やら、
そういうものからことごとく開放されている生活です。

そういう環境下にいるからこそ、
いまの自分を「心身健康」と認識できています。

でも、無菌状態のわたしは、だからこそ、「くだらないほど瑣末な」ストレスに弱い。

こういうネガティブな感情を上手にリリースする方法はないものでしょうか?

| | コメント (7) | トラックバック (0)

ヤッタ!! の減薬その5…いきなりビックリ

うつ病に関して書きたいネタがたくさんあって、
メモはいろいろ取ってあるのですが、どうも筆が止まっています。

今日はそのメモを差し置いて、重大な変化発生。

2週間前に半量に減らしたばかりの抗うつ薬なのですが、

デプロメール 25mg⇒0mg/日
アモキサン 10mg⇒0mg/日

そう、服薬そのものがいきなり卒業となりました。

「ま、ちょっと薬止めてみますかっ。」

主治医の先生の笑顔交じりの軽~いひとことで、いきなり終了宣言です☆

あまりにあっけなすぎて、
「え、ダイジョブなの???」という一抹の不安もあり、
なんだか感慨も湧いてきません。

そのかわり、次回の診察でもう一度、「箱庭療法」をやるそうです。

ところで、愛読している某精神科医のブログを読んでいて、
長い間の疑問がスパッと解けました。

なぜ、いままでわたしの先生が、
わたしに正確な病名(うつ病)を告げなかったのか?
なぜ、診断書にはいつも、「うつ状態」としか書いていないのか?

それにもきちんと、理由があったそうです。

あまりに目からウロコだったので、
その先生にコメントを寄せてみたら、

「あとから過去(病状のひどかったころ)をふり返ってみて、
『やっぱりあのとき、自分は病気だったのだ』と、
きちんと思えるようになったということは、元気になった証拠ですよ」

というお答えが。うんうん、元気になったのですね。

わたし自身が、「元気になった」と素直に思えるようになったのは、
もちろん事実として元気になったということもありますが、
ひとつには「元気になった」と認定するハードルを下げたから、というのもあります。

やっと最近になって「完全な病前の状態をとり戻す」ことに
こだわらなくなったというか、あきらめがつきました。
そのことに対して、それほど悲観的な気分でもありません。

これからどうやって生きていくのか、
まだあまりはっきり考えていませんが、
まずはあまり先のことは考えないことにします。
あと、この先、もっと元気になるかもしれない、という希望は、
まだ完全には捨てずに、どこかで持っていようと思います。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

ヤッタ!! の減薬・その3飛んでその4

減薬が順調に進んでいます。
このところは、離脱症状も特にないです。

昨晩の診察で、減薬は第4段階に突入。

現在の処方は;
デプロメール 50mg⇒25mg
アモキサン 20mg⇒10mg

今回は、一気に半量にまで下がりました。
また、アモキサンだけでなく、デプロメールも減量に入りました。

自覚症状としてはあまりないのですが、
身体検査すると、長期の服薬がからだのいろいろなところに
ダメージを与えているのがわかります。
なので、ほんとうに早く薬を卒業したい。
でも、薬のおかげでうつ病を克服できたのは事実ですし、
あまり急いだ結果、ぶり返して、いままでの努力が無駄になるのもコワイ。

毎回、主治医の先生に「薬減らしたいですか?」と聞かれると、
ほんとうに答えに窮するんです!

ところで、減薬第3段階開始時から、少しだけダイエットもしていて、
現在2ヵ月半で、-2.5kgです。
病前体重まであと-5kg、できれば-7kgできると、過去の自己ベスト体重です。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

音楽を、踊りを楽しむ喜び

1年前のわたしは音楽が聴けなかった。

うつ病が、いちばんひどい時期だったのです。

五感を通して自分の中に入ってくるものすべてが、
無意味になっていた時期。
いえ、無意味を通り越して、不快でたまらなかった時期。

あんなにダイスキだったすべての音楽が、
世にもおぞましい雑音に変わってしまい、
絶望のどん底に叩き落されました。

不愉快な音楽そのものよりも、
音楽をここちよいものと感じられなくなった、
自分の死んだ感性に、絶望しました。
まるで、「アナタは人間ではない」と宣告された気分でした。

数ヵ月後。病状が上向きになってくるのにしたがって、
わたしは少しずつ、再び音楽をきくことのできる耳をとり戻しました。

音楽を聴けること、ただそれだけのことが、
どんなに幸せで恵まれたことであるのかを、
わたしは全身で知ることができました。
耳に飛びこんでくるすべての音。
それは自然に流れこんでくるものではなく、
それを受け入れる感性というものを備えて初めて、
自分に快をもたらすものであるということに、気がつくことができたのです。

自分の元気に、少し自信のついた去年の夏ごろ、
わたしは自分を試すつもりで、ダンス教室に通いはじめました。

音楽を聴けるだけで、
それにあわせてからだを動かせるだけで、
人間というものはどんなに幸せなのか、
健康なひとのほとんどはその恵みにすら気づくことなく、一生を終えていく。

最初は、週に1度のレッスンに通うことだけが、
わたしを外の世界に繋ぐチャンネルでした。
たったこれだけのことでも、わたしにはせいいっぱいでした。

けれど、わたしはダンスをはじめ、めきめきと元気を取り戻し、
そのうち、しごとも再開することができ、
そして1年後のいま、なんと、人前で踊ることができるようになった。

ただ、ひたすら、
その喜びを表現すればいいんだ、と本番直前に気づいたのです……

昨日の発表会のために、3ヵ月近く、
いっしょうけんめい、レッスンに励んできました。
テクニックだとか、表現だとか、ショーアップだとか
ありとあらゆることにアンテナをはりめぐらせるよう、
たくさんのことを指導してもらいながら、
できる限りのことを身につけようとしてきました。

もちろん、本番までに間にあわず、
できないことはたくさんあった。

わたしの弱いこころは、
本番にありのままの実力を出すことを許してはくれないと、
こころのどこかで思いこんでいた。

でも、とにかく、
踊れること、
ただそのことに「ありがとう!」というきもちを込めて、
最後まで踊りきろうと決めました。

踊りが終盤に近づいて、
かっこ悪いですが、ちょっと涙がこみ上げそうになりました。

だけど、サイコウにキラキラして、快感な5分間でした。

自分って、けっこう元気じゃん! 素直にそう思えました。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

頭にきても怒れないことば

「その程度に元気ならば、病気ではないと思うよ」
「あなたのその性格で病気になるはずがない」
「わたしだっていろいろあってけっこうつらいんだよねー」

主治医の先生は、
たとえば親友とか、家族だとか、相手が親しければ親しいほど、
かえってうつ病患者を傷つけることばを言うものなのだと言います。

一歩引いてみてみると、
冒頭の3つのことば、
それほど腹を立てることでも、
いちいち傷つくほどのものでもないような気がしますし、
まして発言した本人にまったく悪意がないのは、重々! わかっています。

それでも、わたしにとってはとても悲しく、とても腹立たしいことばでした。

もちろん、それを表面に表すことは一切しません。
なぜならば、どんなにことばを尽くしても、
おそらく、理解してもらえることはないから。
相手は病気のことを知らないのだから、ほんとうにしかたないのだ、とも思う。
だから、相手のことは、責められない。

でも、わたしの胸のうちは、こうです。

「その程度に元気ならば、病気ではないと思うよ」
→あなたに心配かけないために、わたしがどれだけ必死な思いで「元気」を取り繕っていると思ってるの???

「あなたのその性格で病気になるはずがない」
→でも、なっちゃったんだよ。まるで病気になったことが悪いことみたいに言わないで!

「わたしだっていろいろあってけっこうつらいんだよねー」
→人それぞれにつらいことがあるのはわかるけど、健常者のつらさとうつ病のつらさはまったく質が違うんだよー

そのほか、ここには書けないようなこともいろいろ言われてきました。
そのたびに、「しかたないよね」とずっと我慢してきたのですが……

ついに見過ごせなくなるできごとがありました。
さすがのわたしも、いままで積もり積もったものがあったので、
ちょっと声を荒げてしまった。

そのショックで眠れなくなってしまって、
週末はずっと不眠でした。
ここのところあまり調子がよくて、
いろいろなことをがんばりすぎて、
ちょっとオーバーロードになっていて、
それでもぜんぜん元気を保てていたのですが、
このできごとでガクッと来てしまって。
今日はしごとをお休みしました。半年で3回めのずる休みです。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

«箱庭療法・結果