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2007年12月

怒涛の年末進行

年末年始に9日間のお休みをとったところ、
まるでいやがらせのように年末進行を宣告されました。

毎日、可能な限り、
からだのもつ限り、
残業してほしいそうです。

病体に鞭打って……ガンバリます。

病院で、抗不安剤もらってくればよかった……

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聖夜に流れる時間

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毎年、やっぱり楽しみで、
ほんのちょっと浮き足立つ気分がくすぐったいクリスマス。

今年はそれを実感する感性を持たぬまま、
この日を迎えてしまいました。

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それでも、
オーブンでチキンを焼き、
キャンドルをともし、
聖歌を流して過ごしているうちに、
だんだんとクリスマスはやってきて、
ほっこり、のどかな時間を過ごしました。

わたしのこころの平和、
世界のみんなの平安を祈って!

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丸焼きのチキンなんて! ほんとうに母親の技はスゴイ!!

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カラダ本位で生きる

Terakado

もう5年ほど前から愛読している本。

整体師・寺門琢己先生の「からだ」シリーズ。

寺門先生は、世の中の女子に
「からだ」本位で生きることを提唱しています。

つまり、生きる指針が頭(頭脳で思考する)モードになってしまうと、
からだもこころも、考えかたも、
いろんなところがこわばってきて、
うまくいくものもいかなくなってくるということ。

それをからだの声―本能の欲求―に耳を傾け、
からだモードで生きると、
自分自身もとても快適、
他人から見てもとても魅力的に生きられるそうです。

この本では、
自分自身の身体のメッセージに対する感度を上げ、
「頭モード」に偏りがちなからだを、
どうやって「からだモード」にシフトしていくのか、
整体の見地からいろいろな体操(?)を提案しています。

比較的自分に余裕のあるときには、
いろいろ実践してみるのですが、
ひとたびしごとなどがたてこんでくると、
(頭モードが全開になってくると)
どうしても忘れがちになってしまって、
わたし自身、まだなかなか使いこなせていない、
というのが現状です。

「からだモード」の達人になれれば、
きっとうつ病になんかならなかったのだろうな、
と思うのです。
もちろん、恋愛も、しごとも、人生も、
もっともっと軽やかに進むのではないかな? と思います。

わたしにとっては実践のみちは遠いですが、
いつか……いつかね、と夢見ながら、
今日もうまくバランスのとれない自分です。

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こころの声に耳を傾ける時間

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扉をくぐった瞬間、
日常の光景から、一切が隔離される。

これは日本の茶室のコンセプトですが、
そんな空間を髣髴とさせる
中国茶のティールームへ出かけました。

思わず話し声をひそめたくなる静謐な空間、
贅とこだわりをつくした調度、
しかし華美にならず、きりりと清楚なインテリア、
さりげない心配りに徹する凛とした店主のたたずまい、
お茶を啜るまでにいくつも踏まれる所作の数々。

茶器を温め、
茶葉を蒸らし、
茶葉が開くのを待ちながら、
シュンシュンと静かに湧くやかんの音に耳を傾け、
馥郁と香りたつ花のような烏龍茶のアロマをいっぱいに吸いこみ、
やけどしそうなほど熱いお茶を啜るころには、
日常の煩雑なこもごもは遠くかなたに飛んでいき、
しっとりとこころも落ち着いて、
静かに自分と向き合いたくなる時間が降りてきます。

1f_5  ■千年茶館 (中国茶専門店 / 白金台)
★★★★ 4.0
東京都港区白金台5-13-14
03-5447-1200
12:00~18:00/日のみ営業

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イメージ力が生きる糧になる

わたしのダンスの先生は、すてきな魂を持ったかたです。

やはり、ひとつの道を究めてきたかたは、
人生の哲学を持っていらっしゃる。

彼女のブログにすてきな一節があり、
はっとされられたので以下に引用してみます。
(先生、勝手にゴメンね!)

夢を持つのに大切な事のひとつは「想像力」。
想像力が欠落していると、
思い込みが激しくなったり、八方塞りな状況を自分で作ってしまいがちです。

人生は仮に、とんとん拍子の路を歩めたとしても、
必ず一度や二度は失敗や挫折を味わう時があります。
それが、人生の醍醐味です。
でも、想像力が欠如していると、
立ち直りが遅くなりますし、発想の転換や、
失敗をバネに生き抜くことができなくなってしまうのです。

生きていればどうにかなるものなのです。
人生と言うものは本来ユニークなもの。

先生が歩んだダンスの道もしかり、
わたしたちの人生もしかり。

とくにうつ病を患ったわたしには、
ちょっと耳の痛いお話でもあります。

わたしもつねづね、
「イメージ力」が足りなかったことで、
このような病気になってしまったのでは? と思うのです。

自分にとって必要なこと、
自分にとって不必要なこと、
自分にとって大事なこと、
自分にとって見送るべきこと、
そしてどんな自分でありたいか? ということを
見失ってしまったのが大きな敗因かな? と。

そう、あえて、「敗因」と言ってしまいます。

起きてしまった失敗は失敗と認め、
来年からどう挽回していくのか?

楽しいイメージを伴って、作戦が立てられるといいな。

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「甘えてる……」が頭をめぐる

今日は3週間ぶりの診察日。

この数日間の疲れを、
動悸が出るほどのストレスを、
いまの状態(しごとのストレスとプレッシャー)がいつまで続くのかに対する不安を、
いろいろ話してみました。

主治医の先生は、
「でも、そうは言っても、こちらから見ていると、
nikitaさんはどう見ても、前回より元気になってきていますね」

毎回、診察のたびに感じていることですが、
心療内科の先生というのは、
患者の言うことを額面通りには受け取っていません。
発言の裏にあること、
あるいは客観的な事実、
もしかすると表情や目線(これをnon-verbal languageって言うのかな?)、
そういったものからわたしたちの状況を汲み取ってくれています。

そうか、わたしは自分で思っているほど悪くはない、
もちろん、まだまだこころの障害はあるにせよ、
ゆっくりとしたスピードで、でも確実に快方に向かっている。

そういうことがわかって、ひとまず安心。
けれど、主治医の先生に同情して慰めてほしいわけではなかったのですが、
このつらさを訴えるところがほかに無くて、
わたしはそれでも、主治医の先生に喰らいついていきました。

「だって……あんなことも、こんなこともあって……
疲れているんです。元気が出ないんです」

言いながら、自分の頭のなかで、
「甘えてる……わたしは甘えてるだけだ……」ということばが、
ぐるぐるぐるぐる巡りました。

自分のしぐさ、表情、口調が、
客観的に見てすごくいやな感じだった。

そんなにつらいならば、
何度も主治医の先生に言われているように、
「しごとを休む」という選択肢があるにはあるのですが、
一度、この方法を使ってしまうと、
あとはとめどもなく使い続けてしまいそうで、
不安なことを、最後に話しました。

「やれるところまで最大限がんばったあとに、
一度、足を止めてしまったらもう二度と立ち直れないのではないか?
そういう発言をするひとは間違いなく、
必要以上にがんばりすぎているひとです。
ふだんから、のらりくらりと生きているひとからは、
そういう発想は出ないものです。
こういうやりかたをしているひとは、倒れちゃいますよ」

「休む=しごとを拒否する」ということに、
いちばんエネルギーを使ってしまうわたし。
無理してしごとを果たすこと以上に、負担のかかること。

でも、主治医の先生から「どこも悪くない」と
お墨つきをいただいた以上、
この方法をうまく使いながら続けていくしかないのです。
この先、二度とこんな病気になってしまわないように、一生。

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ダイスキなのに、欠席

ダイスキなダンス教室を、今日はお休みしましたorz

しごとで、頭がクシャクシャして……
レッスンに行けばそんなことも忘れて、
スカッとしたきもちをとり戻せるのはわかっているのですが、
今週は休養を選択。

休みたくてもどうしても休めないしごとのかわりに、
休みやすいところで「お休みします」という勇気を使っておきます。

“to go”か“not to go”か、
賢く選ぶことも身につけないと。

楽しいことをお休みしたのに、妙に解放感!

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動悸再燃

うつ病勃発期にわたしを苦しめた、動悸。

精神的に追いこまれると、
息があがってしまって、ずいぶん苦しみました。

よくストレスなどで過呼吸になると聞きますが、
ストレスと呼吸が関係しているなんて、
生まれて32年間、体験したこともありませんでした。

で、ここ最近なのですが、
動悸といわないまでも、
ちょっと息苦しい瞬間があります。
ふと、症状のひどかったころがフラッシュバックします。

どんなときに息苦しいかというと、
やるべきしごとが溜まって、
どれから手をつけていいかわからないとき、
しごとが思うように進められないとき、
自分のダメさ加減に気づくとき
(「“ふつうのひと”なら○×なのに……」と考え出してしまう)。

相当ストレスやプレッシャーに弱くなっている自分が、
とるにたらないことで動揺して、
きもちばっかり焦って焦って、空回りしてしまいます。

やるべきことに対するいやいやな義務感が募って、
それが達成できないことに焦り、
いまの自分には得がたい能力や気力が欠如していることについて焦り、
そのうえ、うつ病になった自分へのコンプレックスが重なって、
いくつもいくつもぐるぐるめぐって、息が上がるのです。

実はいまのしごと、少し性質が変わってきたのです。
いままでのルーティンワークと異なることがイレギュラーに発生して、
複数のタスクを並行させて行わなければいけなかったり、
オフィス外とやりとりしたりするようなしごとが少しずつ出てきて、
いまのわたしには対処しきれない。

でも、会社の人に、病気のこと、話せない。
話せないから、できません、と言えない。
だって、病気でもないのに、
この程度のことができなかったら、
相当、無能なひとだもの!

主治医の先生に相談したいけれど、
うまく整理して話せそうにありません。

どうしよう!

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ぎゃは! ウフ☆

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ぎゃは! ウフ☆

デートに誘われてしまいました♪

なにがうれしいかというと、
こーーんないまのわたしみたいなひとでも、
またもう一度会いたい、
もっと話したい、と思ってもらえたこと。

結果はどうでも、よいのです。

うまく自分のことも話せなくて、
上手にひとを楽しませてあげることができない、いまのわたし。
それなのに。

元気いっぱい、好奇心いっぱいのわたしを取り戻して、
楽しい時間を過ごしてもらわないと!

これを当面、毎日の励みにします。

【写真】わたしのダイスキな、金華ハム専門店。
金華ハムは、世界三大ハムのひとつです。

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家族の団欒―80年代版復刻

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弟がダウンロードしてきたWii版「スーパーマリオ」。

ファミコン時代に家族全員で大ブームのゲームでした。

あれから20年が経って、
再び、つかのまの家族団らんが復活の一夜!

あのころの屈託なく、温かかった家族の時間が
長い年月を飛び越えて、一気に甦りました。

当時は、
テレビゲームの弊害がうんぬんかんぬん言われていましたが、
いまの時代となっては、さすがに、
「ファミリーコンピューター」の名に恥じない、
アットホームで体温の感じられる娯楽です。

美しい家族の団結! おなかの底からの笑い!!

昔はルイージ派だったけど、いまはコワイのでマリオ派です。
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呼吸するにもエネルギーが要るように

今週はなんだか、つまらないことばかり、日記に書いています。
でも、ついでだから、こころのモヤモヤを、もう少し。

わたしが思ううつ病の病巣は、
ひとことで言うと、
「こころのエネルギー」を失うこと。

わたしはいま、ふつうの健康なひととほとんど遜色ないくらい、
その「こころのエネルギー」は回復していると思っていて、
主治医の先生にも「8割がたよくなりました」と言っているほどです。

でも、やっぱり、そうではないんだな、
ということに気づかされるできごとが、今週は多かったのです。

こころのエネルギー。

健康なひとには、その自覚はあまりないことと思います。
わたしもこの病気になるまで、
その概念すら、存在すら、気づくことはなかったのです。

もちろん、誰にだって、
元気の出ないときや、落ちこむ時はあるけれど、
そういうものとは、次元の違う話。

誰かと、話をする。
映画や本を、愉しんで読む。
どこかへ出かけたいと思う。
しごとにやりがいを感じる。
気晴らしをする。
なにか、新しいこと、初めての出会いに遭遇する。

ふつうに生活していたら、
自然と触れあっている、「なにか楽しいこと」。

そんなことに、こころのエネルギーを消費するってこと、
元気なときにはなかなか気づくことはできないものです。

そう、それは喩えて言うならば、
生きていくための呼吸にエネルギーを使うように。

健康なひとは「呼吸」をしていることを自覚することはないけれど、
健康に問題を抱えるあるひとにとっては、
それすら困難を感じるかもしれない。
それすらありがたいことかもしれない。
そういうようなこと。

「愉しむこと」が困難になるなんて。
「愉しむこと」が苦痛になるなんて。

ふつうのひとが、あたりまえにできていること、
けれどあたりまえすぎて、
「できていること」にすら気づいていないこと、
そういうことが、いまのわたしには、できないのです。

……だけど、「ふつうのひと」って一体なんだろう?
「ふつうのひと」がうらやましいなんて、
そんなバカバカしい考えは、なくしたほうがいいのかもしれません。

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まだちょっと早かった忘年会

わたしには、ネットの海の中で知りあった、
とても魅力的でステキなおともだちがひとり、います。

とてもオープンで、やわらかくて、好奇心旺盛で、
人生を愉しんでいる、ステキなひと。

彼が、自分の経営する会社の忘年会へ呼んでくれたので、
顔を出してみました。

知らない人ばかりのなかに入っていくことも、もうこわくないし、
たまにはこんなことがあっても、いいよね。
わたしも、とても楽しみにして出かけていきました。

……なのに。なのに。

なんだか大失敗。

誰ともうまく溶けこめない。
誰ともうまく話せない。
誰にも自分のことを上手に表現できない。
誰にも魅力的だと思ってもらえない。
だから、誰もわたしに話しかけてくれない。

誰と話しても、会話がちぐはぐで、
誰もがわたしを見て怪訝な顔をする……

少なくとも、わたしには、そう思えました。

愉しんでいない自分がとても場違いで、
とても恥ずかしくて、みじめだった……

みんなには、とても自然に、とてもふつうにできることが、
わたしには、まだ、できない。

こういう場に参加するには、
まだわたしのこころは準備ができていなかったみたい。

忘年会の名の通り、
早く今年のことは忘れてしまいたいです。

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プライベートは? いろいろあるでしょ??

客観的にも、主観的にも、
なにもかもが順調に病状回復しています。

そう思っていたし、
実際そうなのだろうと思います。

いまの段階で、できているべきこともきちんとやっている。

でも、あるひとのちいさなひとことで、つまづきました。

「nikitaちゃんって、最近忙しいの?」
「いえいえ、ぜんぜんそんなことないですよ。しごと5時終わりですもん」
「いやいや、そういうことじゃないよ。その後の話。
飲みに行くとか、ショッピング行くとか、プライベートでさ」
「………。」

いまのわたし、そんなにたくさんのことはできない。
たくさんのことをしなきゃ、とも、したい、とも思うことができない。
毎日、しごとに行くためのエネルギーを保つので、せいいっぱい。
ただ、それができることだけで、充分だと思ってた……

でも、ふつうのひとは、そうではない。
人生それだけなんてこと、決してありえない。
きちんとお勤めをして、社会人としての務めを果たしながら、
いろいろなひとと、いろいろなところで、いろいろなことをして、愉しんで、
それで生活ができあがっている。

わたしのいまの生活って……なんだろう?

たいしたしごとをしているわけでもないのに、
それにかかりっきりになって、
しごとが終わっても誰とも会わず、どこにも行かず、
ただ家に帰ってテレビを見て寝るだけの毎日。
娯楽と名のつくものなんて、おおよそない毎日。
つまらない毎日。
つまらないひと。

急激にに自分の毎日が、自分自身が、色あせて見えて、
とてもつらい瞬間でした。

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ダラダラ汗とじんわり汗……デトックスについて

からだの毒、こころの毒を溜めこまずに、
自分の外へ出してしまうための、ひとつのアイディア。

わたしのダンスの先生が、言いました。

練習を積んで、
きちんとからだの芯から踊ることができるようになったひとは、
踊っていても、ダラダラと流れる汗をかきません。
そのかわり、からだのなかからじんわりと、汗が湧いてきます。
そういう汗は、とてもいい汗。
からだの老廃物が、きちんと出ている汗です。

具体的に喩えると、
サウナで激しくかく滝のような汗は、ただの水分の排出。
半身浴でじっとりとかく玉のような汗は、デットクスのできている汗。

このようなことって、こころのありようにも、言えるかもしれません。

うまくいえませんが、
北風と太陽のような発想の違いでしょうか?

こころに「じんわり汗」をかかせるためには、
ダンスと同じく、少しばかりの修練がひつようかもしれませんが、
同じ汗をかくなら、
そういう穏やかで無理のない、きれいな汗をかきたいものです。

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ずる休みは、どうか?

先週、すこしがんばりすぎたかな?

今週はときどきからだと頭がひどく重く感じ、
症状のひどかったころをちょっと思い出します。

いえいえ、よく考えてみると、
毎週、1回はそんな状態になっているかもしれませんが。

アルバイトをはじめたばかりのころは、
慣れないことの気疲れがあり、
疲れや倦怠感が出るのも当然、と思っていたので
あまり気にしていませんでしたし、
自分でも慎重すぎるくらいからだを気づかっていたのですが、
すっかりしごとにも慣れたいま、
緊張の糸が緩まって、
ほんとうの意味での疲れが出てきたもかもしれません。

こんなときはさっさとしごとを休むように、
と主治医の先生に言われていますが、
いったんしごとをはじめてしまうと、
知らず知らずのうちに、
必要以上にがんばりすぎる悪い癖が……
義務感と責任感に縛られるのがダイスキなわたし。
過去とまったく変わらないパターンをなぞろうとしていることに気がつきます。

必然性のない努力や忍耐、気づかいは
誰の役にも立ちません、
自分のためにもなりません。

明日、1日休んでみたいな……

ここのところ、毎日思うことです。

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うたた寝……いえ、うるわしい音色の夕べ

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しごと帰りにちょっと重い足をひきずって、
クラシックコンサートに出かけてみました。

こじんまりとした室内楽オーケストラによる、
ちょっと古典的なバッハの演奏会。

シンプルな編成で奏でられる古楽には
余分な感傷や大げさな表現はなく、
とても規律的にひとつひとつの音符を奏でて……

あまりにきもちがよくて、
半分ほどうたた寝してしまいました。

けれど、
クラシックコンサートで眠ってしまう、というのは
あながち否定的な意味ではなく、
頭もこころもほんとうにリラックスしたということ。

心身ともに空っぽになって、
芸術の森・上野の夜道を
夢見ごこちで帰途に着きました。

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ふたりでお茶を Tea For Two

Tea

今週末で見納めの銀杏並木を鑑賞したあとに、
近くのティールームへ出かけてみました。

よく晴れた日曜の午後、
このゆるい気分を味わうのには、
コーヒーより紅茶。
ということで訪れたのが、とある紅茶専門店。

しっとりと丸みある味わいの
イングリッシュ・ミルク・ティーをいただきました。

ふだん紅茶にはあまり親しんでいませんが、
紅茶がはいるまでを待つ時間は、とてもぜいたく。
おなかもこころも、じんわりとほどけて、
ほっこりと暖まります。

茶葉の買いつけから手がけておられる店主が
愛情こめて1ポットずつ淹れてくれるお茶は、
たっぷり3杯は愉しめるうえ、
いつまでたってもいやな渋みや苦味が出ない、
秀逸な味わいです。

また、ここで使われているミルクティー専用のミルクは、
余計な乳脂肪分を抜き去ったようなさっぱりとした味。
飲んだ後の舌に脂肪分が残らず、乳臭さがまったくありません。

優秀なコーヒーや紅茶の条件とは、
この雑味のない後味に尽きるのではないかと思います。
先日、軽井沢でいただいた丸山珈琲もしかり。

青山ティーファクトリー (紅茶専門店 / 外苑前)
★★★★ 4.0

東京都港区南青山2-12-15
南青山2丁目ビルB1F
03-3408-8939
10:00~21:30(平日)・11:00~19:00(土)・11:00~18:00(日祝)
年末年始&茶葉買い付け期間不定休

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わたしの応援歌

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出勤前に自分にエンジンをかけるためによく聴くのが、
KT Tunstall の「Suddenly I See」。

このブログでもとりあげたドラマ「アグリー・ベティ」と、
去年のちょうど今ごろヒットした映画「プラダを着た悪魔」のテーマ曲。

八方ふさがりのツライ状況のなか、
どんなことがあってもへこたれない、
たくましい女の子を描いたストーリーにピッタリの曲調。
体の底からワクワクした元気が湧いてくるかんじ。

なぜ、へこたれないって?
それは底辺に、“憧れ”があるからだと思います。
「わたしは、こんなふうになりたい。ぜったいなりたい」
ヒリヒリするくらいにそう願っているから。

「そう! これが、わたしがなりたいもの!!」
曲中でもそんな憧れと強い決意を歌っていて、
夢を持つことをあきらめないで、と言われている気がします。

これがわたしの、ここ最近の応援歌です。

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はやとちり!

こんなわたしのことでも、
気に入ってくれるひとがいるんだなぁ、と思って、
ほんの少しだけ、
日々をドキドキ、ウキウキして過ごしていました。

こんなひとにかわいがられるのも、いいかなぁ? と……

だけど、それは、
どうやら勘違いなんだって、
そう思いました。

出逢いは、来年までおあずけ!!

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ユウウツな朝の、すこしの愉しみ

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毎朝、
会社に行きたくない、
しごとしたくない、と思います。

なかなかベッドから出られない。
なかなか着る服が決まらない。
きもちはウツウツ。

そんなイヤイヤ気分の慌しい朝に、
わたしの下宿生たち(ハーブの鉢!)に水遣りをします。

水遣りをするとき、
ほんのわずかに、彼女たちの茎や葉にじょうろが触れます。

すると、どうしたことでしょう。

水遣りするわたしに応えるように、
彼女たちはかすかに、けれど必ず、
清々しい香りを朝の凛とした空気に乗せて、
わたしの鼻腔まで届けてくれます。

そのとき、毎朝のことなのですが、はっとします。
それは新鮮な喜びです。

朝って、いいな、と思う瞬間です。

【写真】紅葉まっさかりの今週。
青い空に映えてあまりにきれいで、通勤路で思わずパチリ。

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我を忘れる瞬間

9月に再開したダンス教室も、
順調に通い続けています。

これをきっかけに、自分が刺激されて、
みるみる元気になるのを感じています。
それ以来、少しずつしごとをはじめ、
いまや毎日会社に通う日々です。

クラスを受講していると、
まだほんのふとした一瞬なのですが、
我を忘れる瞬間に出逢うことがあります。

そういうときには、
自分の世界にあるのは、ただ音楽と、からだだけ。

まわりの生徒、
先生の声、
自分の姿を映す鏡、
一切が意識の外へ消えていきます。

愛想笑いも照れ隠しも、
周りを気にする自分の目も、
そのすべてが、遠くかなたに押しやられます。

ただひたすらに音に身を任せて、
汗を散らしながらステップを踏むだけです。
こころは空っぽ、無になります。

瞑想に、すこし似ているでしょうか。

ただし、
ほんの少し足を踏み違えたり、
わずかに迷いが生じたときに、
この瞬間はシャボン玉のようにパチン、と消えてしまいます。

もっと踊りがうまくなり、
からだが自在に動くようになれば、
この無心の境地はもっと頻繁に、もっと長く訪れることでしょう。

あの瞬間が、サイコウなのです!

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退屈……ってゼイタク

しごと復帰して1ヵ月。

まともな社会人としての道へはまだまだ遠く、
30歳代にして考えもしなかったような
気楽なアルバイト勤務の身ではありますが、
いまのわたしにできるのはここまでとして。

素直に言ってしまうと、
少しずつ、退屈なきもちが湧いてきています。

1ヶ月、毎日同じことの繰り返し。
そして明日からも、これからも……

これが、いつまで続くのだろう?

いまのわたしがこれ以上を望んではいけない。
目の前の責務をきっちり果たさなきゃ。
ただそれだけで、体力的にも精神的にもいっぱいなのに。

毎日、会社を往復すること以外、
なにもできない自分がもどかしいです。

これって、身の程知らずのゼイタク!

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恋したいモード・つづき

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恋したいモードが甦ってきた、
なんて話を書いてみましたが、
先々のことながら、とても悩ましいことがあります。

もしもこの先、
恋しいパートナーがみつかるようなことがあったら、
この病気のこと、話したほうがよいのかな? ってこと。

もしもそのとき、
病気が完治していたとしたら、
言わなくてもいいことは言わぬままにしておくのか?

でも、わたしのこころづもりとしては、
たとえ完治する日が来たとしても、
病気が再発するかもしれないというきもちとは、
一生つきあっていくことになると思うのです。
この病気、かなりの確率で再発するというし。

だから、パートナーにもこころの準備をしてもらわないといけない。
それを受け止めてくれるひとでないといけない。

きっと、話すのだろうけれど、
どういうタイミングで、どう話したものか……

まだ起きてもいないことを思いあぐねて、
ときどき悶々とする日々です。

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試験のできばえ

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創設されたばかりのビジネス中国語の試験(C-TEST)を受けてきました。

中国語能力そのものはだいぶ錆びついてしまっているので、
できばえそのものにはそれほど期待していませんでしたが、
試験時間2時間半という長さに、けっこうな苦戦を強いられました……

わたしが現在しているアルバイトは、中国語ニュースの翻訳。
毎日、朝から夕方まで中国語に対峙しているので、
試験自体はそれほど苦にならないだろうと思っていたのですが、
今日はひさびさに「ああ、わたしってウツ病患者だったよねぇ」と
思い知ることになりました。

明らかに、試験に意識を集中できない自分。

何度も何度も自分を奮い立たせてみるのですが、
どこかいまひとつ、試験問題のなかに意識が入っていかない。

懸命に目を凝らして長文問題を読むのですが、
字面のうえを視線が滑っていくだけで、
内容が頭に入ってこないのです。
何度も読み返して、やっと単語の羅列だけは理解しても、
果たしてその文章がなにを言わんとしているのか、
要点はなんなのか、
まったく掴めないのです!

休職前の自分も、こうでした……
何度、書類を読んでも意味が頭に入ってこない。
あのときのいらいらをひさびさに味わいました。

また、鉛筆の音や紙をめくる音など、
周囲の雑音がどうしようもなく気障りで、
たまらなかったです。

学生時代、試験を受けていても
こんなことが気になったことは一度もなかったのに……

試験終了後はヘトヘトになって、
貴重な日曜の午後を無駄に過ごしてしまいました。

この自分の状態を見るにつけ、
まだまだ正社員として就職したり、
複雑なしごとをこなしたりは、
無理なのだなぁ、と思い知りました。

わたしはまだ、ウツ病患者です。

だから、薬も忘れず飲まないと!

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干物デー

元気のつもりが、やっぱり疲れている。

今日はお昼に起床。10時間眠りました。

それなのにまったく疲れがとれておらず、
エンジンのかからぬまま、
ノーメイクに髪ぼさぼさの格好で過ごす。

食べるものだけしっかり食べて、
テレビを見て、
ほかになにもしないまま、夜になり、
9時になるともう眠くて眠くて、ついに沈没。

元気なころもそうでしたが、
週に一度はこうして干物オンナになる日がないと、
からだがもたないみたい。

1日を無駄にしたように思えても、
自己嫌悪を感じても、
これをしないと次の週がダメになる(と思う)。

以前、そこを無理してリフレッシュ旅行に出て、
楽しかった翌日にウツ病の診断が下ったのでした。

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