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呼吸するにもエネルギーが要るように

今週はなんだか、つまらないことばかり、日記に書いています。
でも、ついでだから、こころのモヤモヤを、もう少し。

わたしが思ううつ病の病巣は、
ひとことで言うと、
「こころのエネルギー」を失うこと。

わたしはいま、ふつうの健康なひととほとんど遜色ないくらい、
その「こころのエネルギー」は回復していると思っていて、
主治医の先生にも「8割がたよくなりました」と言っているほどです。

でも、やっぱり、そうではないんだな、
ということに気づかされるできごとが、今週は多かったのです。

こころのエネルギー。

健康なひとには、その自覚はあまりないことと思います。
わたしもこの病気になるまで、
その概念すら、存在すら、気づくことはなかったのです。

もちろん、誰にだって、
元気の出ないときや、落ちこむ時はあるけれど、
そういうものとは、次元の違う話。

誰かと、話をする。
映画や本を、愉しんで読む。
どこかへ出かけたいと思う。
しごとにやりがいを感じる。
気晴らしをする。
なにか、新しいこと、初めての出会いに遭遇する。

ふつうに生活していたら、
自然と触れあっている、「なにか楽しいこと」。

そんなことに、こころのエネルギーを消費するってこと、
元気なときにはなかなか気づくことはできないものです。

そう、それは喩えて言うならば、
生きていくための呼吸にエネルギーを使うように。

健康なひとは「呼吸」をしていることを自覚することはないけれど、
健康に問題を抱えるあるひとにとっては、
それすら困難を感じるかもしれない。
それすらありがたいことかもしれない。
そういうようなこと。

「愉しむこと」が困難になるなんて。
「愉しむこと」が苦痛になるなんて。

ふつうのひとが、あたりまえにできていること、
けれどあたりまえすぎて、
「できていること」にすら気づいていないこと、
そういうことが、いまのわたしには、できないのです。

……だけど、「ふつうのひと」って一体なんだろう?
「ふつうのひと」がうらやましいなんて、
そんなバカバカしい考えは、なくしたほうがいいのかもしれません。

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