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2008年5月

ヤッタ!! の減薬・その3飛んでその4

減薬が順調に進んでいます。
このところは、離脱症状も特にないです。

昨晩の診察で、減薬は第4段階に突入。

現在の処方は;
デプロメール 50mg⇒25mg
アモキサン 20mg⇒10mg

今回は、一気に半量にまで下がりました。
また、アモキサンだけでなく、デプロメールも減量に入りました。

自覚症状としてはあまりないのですが、
身体検査すると、長期の服薬がからだのいろいろなところに
ダメージを与えているのがわかります。
なので、ほんとうに早く薬を卒業したい。
でも、薬のおかげでうつ病を克服できたのは事実ですし、
あまり急いだ結果、ぶり返して、いままでの努力が無駄になるのもコワイ。

毎回、主治医の先生に「薬減らしたいですか?」と聞かれると、
ほんとうに答えに窮するんです!

ところで、減薬第3段階開始時から、少しだけダイエットもしていて、
現在2ヵ月半で、-2.5kgです。
病前体重まであと-5kg、できれば-7kgできると、過去の自己ベスト体重です。

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音楽を、踊りを楽しむ喜び

1年前のわたしは音楽が聴けなかった。

うつ病が、いちばんひどい時期だったのです。

五感を通して自分の中に入ってくるものすべてが、
無意味になっていた時期。
いえ、無意味を通り越して、不快でたまらなかった時期。

あんなにダイスキだったすべての音楽が、
世にもおぞましい雑音に変わってしまい、
絶望のどん底に叩き落されました。

不愉快な音楽そのものよりも、
音楽をここちよいものと感じられなくなった、
自分の死んだ感性に、絶望しました。
まるで、「アナタは人間ではない」と宣告された気分でした。

数ヵ月後。病状が上向きになってくるのにしたがって、
わたしは少しずつ、再び音楽をきくことのできる耳をとり戻しました。

音楽を聴けること、ただそれだけのことが、
どんなに幸せで恵まれたことであるのかを、
わたしは全身で知ることができました。
耳に飛びこんでくるすべての音。
それは自然に流れこんでくるものではなく、
それを受け入れる感性というものを備えて初めて、
自分に快をもたらすものであるということに、気がつくことができたのです。

自分の元気に、少し自信のついた去年の夏ごろ、
わたしは自分を試すつもりで、ダンス教室に通いはじめました。

音楽を聴けるだけで、
それにあわせてからだを動かせるだけで、
人間というものはどんなに幸せなのか、
健康なひとのほとんどはその恵みにすら気づくことなく、一生を終えていく。

最初は、週に1度のレッスンに通うことだけが、
わたしを外の世界に繋ぐチャンネルでした。
たったこれだけのことでも、わたしにはせいいっぱいでした。

けれど、わたしはダンスをはじめ、めきめきと元気を取り戻し、
そのうち、しごとも再開することができ、
そして1年後のいま、なんと、人前で踊ることができるようになった。

ただ、ひたすら、
その喜びを表現すればいいんだ、と本番直前に気づいたのです……

昨日の発表会のために、3ヵ月近く、
いっしょうけんめい、レッスンに励んできました。
テクニックだとか、表現だとか、ショーアップだとか
ありとあらゆることにアンテナをはりめぐらせるよう、
たくさんのことを指導してもらいながら、
できる限りのことを身につけようとしてきました。

もちろん、本番までに間にあわず、
できないことはたくさんあった。

わたしの弱いこころは、
本番にありのままの実力を出すことを許してはくれないと、
こころのどこかで思いこんでいた。

でも、とにかく、
踊れること、
ただそのことに「ありがとう!」というきもちを込めて、
最後まで踊りきろうと決めました。

踊りが終盤に近づいて、
かっこ悪いですが、ちょっと涙がこみ上げそうになりました。

だけど、サイコウにキラキラして、快感な5分間でした。

自分って、けっこう元気じゃん! 素直にそう思えました。

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頭にきても怒れないことば

「その程度に元気ならば、病気ではないと思うよ」
「あなたのその性格で病気になるはずがない」
「わたしだっていろいろあってけっこうつらいんだよねー」

主治医の先生は、
たとえば親友とか、家族だとか、相手が親しければ親しいほど、
かえってうつ病患者を傷つけることばを言うものなのだと言います。

一歩引いてみてみると、
冒頭の3つのことば、
それほど腹を立てることでも、
いちいち傷つくほどのものでもないような気がしますし、
まして発言した本人にまったく悪意がないのは、重々! わかっています。

それでも、わたしにとってはとても悲しく、とても腹立たしいことばでした。

もちろん、それを表面に表すことは一切しません。
なぜならば、どんなにことばを尽くしても、
おそらく、理解してもらえることはないから。
相手は病気のことを知らないのだから、ほんとうにしかたないのだ、とも思う。
だから、相手のことは、責められない。

でも、わたしの胸のうちは、こうです。

「その程度に元気ならば、病気ではないと思うよ」
→あなたに心配かけないために、わたしがどれだけ必死な思いで「元気」を取り繕っていると思ってるの???

「あなたのその性格で病気になるはずがない」
→でも、なっちゃったんだよ。まるで病気になったことが悪いことみたいに言わないで!

「わたしだっていろいろあってけっこうつらいんだよねー」
→人それぞれにつらいことがあるのはわかるけど、健常者のつらさとうつ病のつらさはまったく質が違うんだよー

そのほか、ここには書けないようなこともいろいろ言われてきました。
そのたびに、「しかたないよね」とずっと我慢してきたのですが……

ついに見過ごせなくなるできごとがありました。
さすがのわたしも、いままで積もり積もったものがあったので、
ちょっと声を荒げてしまった。

そのショックで眠れなくなってしまって、
週末はずっと不眠でした。
ここのところあまり調子がよくて、
いろいろなことをがんばりすぎて、
ちょっとオーバーロードになっていて、
それでもぜんぜん元気を保てていたのですが、
このできごとでガクッと来てしまって。
今日はしごとをお休みしました。半年で3回めのずる休みです。

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箱庭療法・結果

前回の診察で「箱庭療法」なるものを行ったのですが、
今回はその結果を聞きたく、診察の日を楽しみにしていました。

で、結果的には、主治医の先生から
それほど具体的な報告は聞かれませんでした。

「このセラピーからそんなに細かいことがわかるわけではないんです」

と、おっしゃっていました。

もちろん、それはきっとそうなのだとは思いますが、
主治医の先生は(おそらく世の中の精神科の医者がみなそうであるように)、
必ずしもいつも「事実」を述べてくださるわけではないので、
「ほんとかな~?」なんていう思いも、どこかにありましたが。
(先生の名誉のために書きますが、別に先生がうそつきと言うことではなく、
患者を安心させたり納得させたりするために、さまざまな「方便」を使うことがよくあるということです。)

さて、箱庭療法を行った目的は、やはり、
「わたしがほんとうによくなったのかどうか?」を確かめるためだったそうです。
いままで1年間、問診による診察しか行っていなかったので、
「なぜこのタイミングで?」と意外でした。

そして、箱庭療法の結果ですが、
現在のわたしの状態は「健康的」「穏やか」だそうです。
また、わたしが行ったように、
色彩的にも意匠的にも、
徹底して統一したトーンの素材だけを使って箱庭を製作するケースは、
けっこう珍しいらしいです。

診断報告は、だいたいこんなところです。

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日常チョット越えの挑戦2―(ほぼ)初対面で1対1

平日は17時までしごと、週2回は習いごと、
週末はゴロゴロ、ときどき友だちと外出。

そんな日常のパターンをこなせるようになって半年。

正直なところ、いまはまだ、これでせいいっぱい。

そしてさらに正直なところ、
いまの生活にもの足りなさも感じる。

そんな思いを抱えていたこのごろですが、
ちょっとした偶然のめぐりあわせがあって、
日常生活をちょっとだけ越える2つのことにチャレンジしてみました。

ふたつめは「ほぼ初対面のひととの、1対1でのディナー」です。

彼はわたしが愛読しているブログの作者さん。
趣味から嗜好から経歴、住んでいる場所まで、
「まるでわたしの生きうつし???」なんて思うほど、
いろいろなことが共通していて、あまりに驚いたので、
ある日彼のブログにコメントを残し、そこから交流がはじまり、
昨年末は彼の主催する忘年会にまで呼んでいただいて、
一度は面通しをしていた仲でした。

先日、朝の通勤路で犬の散歩中の彼にバッタリ出会い、
そのときに「今度ごはんでも!」と約束していたのです。

とはいえ、ほとんど初対面の二人。
お互いのことをほとんど知らないので、
これまでの生活についてだとか、
好きなもののとこだとか、
いろいろ話すことはあって、
話題にはこと欠かない雰囲気で会食はスタート。

彼のほうがアクティブなタイプで、
話題の引き出しをたくさん持っているので、
わたしは主に聞き手にまわり、
要所要所で質問を投げながら3時間半ほど、話しこみました。

最初の2時間くらいは、
わたしもとても楽しい感じで
相手の話を興味深く聞いていたのですが、
実は今週のわたしはとても疲れていました。

前回の日記に書いたように、
先週末はずっと原稿執筆のしごとをしていたうえ、
習いごと(ダンス)の発表会を間近に控え、
今週はかなりシビアなレッスンもこなしていて、
こころもからだも、かなりぐったりとしていたところ、
カラ元気をかろうじて保っていたのですが、
相手は当然のことながら、
わたしがうつ病である事情も知らないわけで。

彼は某大手企業でいくつかのヒット作品を世に送り出しながら、
数年前に独立して、
いまやアジアのあちこちの国を跨いで活躍中の、とても優秀なひと。
勘も鋭く、頭脳も明晰なタイプなので、
だんだん、その回転の速さについていけなくなってきました。

いきいきとした彼に比べ、
自分のスケールの小ささとか、頭の鈍さとか、
引け目に感じる時間がだんだん増えてきて、
うまく気のきいた受け答えもできず、
「彼は実は退屈していないだろうか?」
「彼はわたしに会ってがっかりしたのではないか?」と、
頭の片隅でチラチラと考えながら、
だんだんと話にも上の空になり、
ますますマイナス思考が頭をもたげる悪循環。

新しい人と友だちになるなんて、
ほんとうに久しぶりのことだったので、
楽しかったのが半分、
自分で自分がイヤになってしまったのが半分、
そんなきもちで帰途に着きました。

このような場合、
わたしは、自分が充分に楽しめなかったことより、
相手が楽しめなかったこと、あるいは
相手にとって自分が魅力的に見えなかったことに、
ひどく落ちこむのです。今晩も然り。
そう、とても他人本位な生きかたです。

落ちついてよく考えると、
「彼だってあのとき、こんな言いかたすることなかったじゃない」とか、
「彼だって別に、他人をとやかく言えるほど完璧なひとじゃない」とか、
確かにそんな点もあったりして、
いちいち自分を責めて落ちこむ悪い癖は、
ほんとうによくないと思いました。

でも、今回のことでよくわかったこと。

わたしは新しい友人を増やすほどには、
まだエネルギーが回復していないということ。
まして、恋愛するには、まだとても準備が整っていないということ。

闘病生活はもう終わった、と思っていましたが、
決められた日常をちょっと逸脱した行動に出れば、
たちまち自分を消耗してしまい、
もとのとおりに立て直すのはたいへんなんだということを、
しっかり確認しました。

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日常チョット越えの挑戦1―週末にシゴト

平日は17時までしごと、週2回は習いごと、
週末はゴロゴロ、ときどき友だちと外出。

そんな日常のパターンをこなせるようになって半年。

正直なところ、いまはまだ、これでせいいっぱい。

そしてさらに正直なところ、
いまの生活にもの足りなさも感じる。

そんな思いを抱えていたこのごろですが、
ちょっとした偶然のめぐりあわせがあって、
日常生活をちょっとだけ越える2つのことにチャレンジしてみました。

まず、そのひとつめは週末の「単発シゴト」です。

先々週の金曜のお昼、
知り合いのライターさんから久しぶりの電話。
聞いてみると、彼女が受けている原稿のしごとが難航しており、
どうにもこうにも締め切りに間に合わないとのこと。
そこでわたしのことを思い出し、
原稿の一部を執筆してくれないか? という内容。

なんと、締め切りはその日の深夜!

金曜日はわたしがとても大切にしている習いごとの日なので、
ほんの一瞬だけ、迷いましたが、これは渡りに船!
ライターとして何の営業活動もしておらず、
これといって実績もないわたしに、
向こうから仕事が飛び込んできた場合、
それを棒に振るのは相当なオトボケ者のすること!!

喜んで引き受けました!!

夜8時ごろしごとから帰宅し、
夕食をとってひと息ついた後、
渡された素材をひとつひとつ原稿にして、
随時、先方へ提出していきます。

結局、朝方の4時まで作業し、
残りは明日中にしあげればよいという話になり、しばし就寝。

翌土曜日の夜9時に無事、すべての原稿をUP。

先方の編集者さんの評判は上々で、
いきいきした原稿に仕上がっているとお褒めのことばをいただきました。

しかし、そのお褒めのことばは、実は
次なる原稿への前フリだったのでした!

編集者さんいわく、
実はまだ仕上がっていない原稿が山ほど残っている。
翌日の夕方までに、もう少ししあげてもらえないか? と…

このとき、わたしのなかで2人の自分がせめぎあっていました。

1人はしごと人としての、ライターとしてのわたし。
「役に立てる自分」→「責任感」「達成感」「充実感」。
これが何よりもダイスキだったわたし、
頼りにされることに、なにより喜びを覚えたりします。
おまけに、このしごとで成果を出せれば、
将来のチャンスにつながるかもしれない……

もう1人は、うつ病患者のわたし。
「断るべきときにきちんと断る勇気」。
これなくしては、うつ病知らずの自分になるきっかけは
どんどん遠のいていく……
週末を2日間も潰して、来週の自分はもちこたえることはできるのか?

でも結局、あまり迷わずして、しごとを受けてしまいました。
病前の自分が、ふと甦ったような気がしました。
賢くなれない自分に半分、あきれながら、
日曜の夕方まで、えんえんと作業を続けました。

そして、すべての原稿を書き終えたときの、
なんともいえない解放感といったら!!!
ひさびさに味わう……何ものにも変えがたい快感!!!
これが何ともいえず病みつきになって、
かつては、つらいしごとでも何でも、乗り切ってきたものです。
疲れているのにはりきって料理までしてしまい、
ビールが沁みいるようにおいしかった夜でした。

もちろん言わずもがな、
翌週のわたしは睡魔と脱力感にすっかり虜にされ、
それでも、しごとも習いごとも一度も休まず、
なんとかやり過ごしたのですが、
どっと疲れた土曜日の今日は、昼の1時まで泥のように眠っていました。
いまだ、部屋着姿でどんよりとしています……

いまのきもちは、
喜び80%、反省20%。
元気になってきたからといって調子に乗って、
「もとの自分」に戻っては、絶対にいけないのです。
「新しい自分」にならないと、傷つくのは自分自身なのですから。

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