音楽を、踊りを楽しむ喜び
1年前のわたしは音楽が聴けなかった。
うつ病が、いちばんひどい時期だったのです。
五感を通して自分の中に入ってくるものすべてが、
無意味になっていた時期。
いえ、無意味を通り越して、不快でたまらなかった時期。
あんなにダイスキだったすべての音楽が、
世にもおぞましい雑音に変わってしまい、
絶望のどん底に叩き落されました。
不愉快な音楽そのものよりも、
音楽をここちよいものと感じられなくなった、
自分の死んだ感性に、絶望しました。
まるで、「アナタは人間ではない」と宣告された気分でした。
数ヵ月後。病状が上向きになってくるのにしたがって、
わたしは少しずつ、再び音楽をきくことのできる耳をとり戻しました。
音楽を聴けること、ただそれだけのことが、
どんなに幸せで恵まれたことであるのかを、
わたしは全身で知ることができました。
耳に飛びこんでくるすべての音。
それは自然に流れこんでくるものではなく、
それを受け入れる感性というものを備えて初めて、
自分に快をもたらすものであるということに、気がつくことができたのです。
自分の元気に、少し自信のついた去年の夏ごろ、
わたしは自分を試すつもりで、ダンス教室に通いはじめました。
音楽を聴けるだけで、
それにあわせてからだを動かせるだけで、
人間というものはどんなに幸せなのか、
健康なひとのほとんどはその恵みにすら気づくことなく、一生を終えていく。
最初は、週に1度のレッスンに通うことだけが、
わたしを外の世界に繋ぐチャンネルでした。
たったこれだけのことでも、わたしにはせいいっぱいでした。
けれど、わたしはダンスをはじめ、めきめきと元気を取り戻し、
そのうち、しごとも再開することができ、
そして1年後のいま、なんと、人前で踊ることができるようになった。
ただ、ひたすら、
その喜びを表現すればいいんだ、と本番直前に気づいたのです……
昨日の発表会のために、3ヵ月近く、
いっしょうけんめい、レッスンに励んできました。
テクニックだとか、表現だとか、ショーアップだとか
ありとあらゆることにアンテナをはりめぐらせるよう、
たくさんのことを指導してもらいながら、
できる限りのことを身につけようとしてきました。
もちろん、本番までに間にあわず、
できないことはたくさんあった。
わたしの弱いこころは、
本番にありのままの実力を出すことを許してはくれないと、
こころのどこかで思いこんでいた。
でも、とにかく、
踊れること、
ただそのことに「ありがとう!」というきもちを込めて、
最後まで踊りきろうと決めました。
踊りが終盤に近づいて、
かっこ悪いですが、ちょっと涙がこみ上げそうになりました。
だけど、サイコウにキラキラして、快感な5分間でした。
自分って、けっこう元気じゃん! 素直にそう思えました。
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