こころの栄養★本・映画・CD

ただ、ひたすら寝て、食べて…超リアルな闘病記

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作家の山本文緒さんによるうつ病闘病記「再婚生活」を読みました。

長く、執拗に彼女を苦しませ続けるうつ病。
その闘病生活の一期間、
毎日淡々とその日のできごとを綴っているエッセイ(?)です。

作中には、うつ病に関するうんちくや知識、
はたまたご本人の病状の客観的な描写などはまったく無く、
うつ病に関する有益な情報といったものは一切、排されています。
したがって、この本から、知識やノウハウ的なものを得ることはできません。

また、日記に書かれていることは、
日々、ただひたすら眠り、なにかおいしいものを食べ、猫と戯れ、
たまにどこかに買い物などに出かけ、少しのしごとを片付け……
といったことが延々と続くのみです。

それなのに、貪るように読んでしまいました。

この先に、なにかドラマティックな展開があるわけではないのは、
あらかじめわかっているのですが、
それでも、止められない何かに惹きつけられ、
読むことをやめることができないのです。

おそらく、うつ病患者自身でなければ、
おもしろくもなんともない本だと思います。

けれど、うつ病患者当事者からしてみると、
ただ羅列されているだけの彼女の一挙手一投足が、
いちいち「思い当たる」ようなことばかり。
自分以外のうつ病患者の日常など覗いたこともないわたしにとっては、
その日常の一挙手一投足そのものが、
興味と共感の対象になります。

ただ寝て食べて、日々を暮らす。それだけの本。

だからこそ、そこらへんの専門書よりも、よほどリアリティがあるのです。

また、作中ではわたしが経験することの無かった入院生活についても綴られていて、
日常を隔てた見知らぬ世界の、
でも自分自身も経験するかも知れなかった「扉の向こう」を覗き見ることができて、
とても興味深かった。願わくば、一生経験しないでいたいものですが。

しかし入院するほど重症だった作者が、
家事や日常のことにまで支障をきたすような状態にも関わらず、
毎日、日記をつけ続けることができたと言う事実に、
もうただただ感服するばかりです。

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カラダ本位で生きる

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もう5年ほど前から愛読している本。

整体師・寺門琢己先生の「からだ」シリーズ。

寺門先生は、世の中の女子に
「からだ」本位で生きることを提唱しています。

つまり、生きる指針が頭(頭脳で思考する)モードになってしまうと、
からだもこころも、考えかたも、
いろんなところがこわばってきて、
うまくいくものもいかなくなってくるということ。

それをからだの声―本能の欲求―に耳を傾け、
からだモードで生きると、
自分自身もとても快適、
他人から見てもとても魅力的に生きられるそうです。

この本では、
自分自身の身体のメッセージに対する感度を上げ、
「頭モード」に偏りがちなからだを、
どうやって「からだモード」にシフトしていくのか、
整体の見地からいろいろな体操(?)を提案しています。

比較的自分に余裕のあるときには、
いろいろ実践してみるのですが、
ひとたびしごとなどがたてこんでくると、
(頭モードが全開になってくると)
どうしても忘れがちになってしまって、
わたし自身、まだなかなか使いこなせていない、
というのが現状です。

「からだモード」の達人になれれば、
きっとうつ病になんかならなかったのだろうな、
と思うのです。
もちろん、恋愛も、しごとも、人生も、
もっともっと軽やかに進むのではないかな? と思います。

わたしにとっては実践のみちは遠いですが、
いつか……いつかね、と夢見ながら、
今日もうまくバランスのとれない自分です。

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わたしの応援歌

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出勤前に自分にエンジンをかけるためによく聴くのが、
KT Tunstall の「Suddenly I See」。

このブログでもとりあげたドラマ「アグリー・ベティ」と、
去年のちょうど今ごろヒットした映画「プラダを着た悪魔」のテーマ曲。

八方ふさがりのツライ状況のなか、
どんなことがあってもへこたれない、
たくましい女の子を描いたストーリーにピッタリの曲調。
体の底からワクワクした元気が湧いてくるかんじ。

なぜ、へこたれないって?
それは底辺に、“憧れ”があるからだと思います。
「わたしは、こんなふうになりたい。ぜったいなりたい」
ヒリヒリするくらいにそう願っているから。

「そう! これが、わたしがなりたいもの!!」
曲中でもそんな憧れと強い決意を歌っていて、
夢を持つことをあきらめないで、と言われている気がします。

これがわたしの、ここ最近の応援歌です。

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そのあくる日

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朝の空気がピリっと澄んだ季節になりました。

けれど、日ざしはまだポカポカやさしくて。

そんな通勤の道のりにピッタリな曲が、これ。
大萩康司「そのあくる日」。

息切れするほどあわただしい朝の時間。
ちょっぴり会社に行くのがしんどい時。
きもちがなんとなく沈みがちで、
下を向いて歩くような日。

そんなときでも、ふしぎとこころがしんと落ちついてくる、
ステキな作品です。
よい1日のスタートが切れそうな気がして。

夏の昼下がりに聴いてもピッタリなのに、
こんな初冬の陽だまりにも、しっくりくる。

この作品を収録したアルバム「Cielo」は、
前の職場でもヘビーローテーションな一枚でした。
せかせかとヒートアップするこころが、
自然と瞑想するように静まっていきます。
でも、確かな情熱も隠し持っていて、
奏者の息遣いがすぐ側にまで迫ってくるよう。

名盤です。

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これぞ、ウツの入門書!

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ウツ病患者なら誰でも知っているのではないかな?
バクハツ的に売れた名著「ツレがうつになりまして。」。

コミカルにやさしく描かれているけれど、
実態はとてもハードだったと思われる、
著者のだんなさまと著者の二人三脚の闘病記です。

かなりつらい局面が続きますが、
辛抱強く、やさしく、明るく、愛を持ってだんなさまと接する
著者のたくましさには、ほんとうに頭が下がります。

さて、同じ病気を患う者としてこの本を読むと、
あちらこちらのディテールで「そうそう、そうなのよ!」と
共感できる部分多々あり、なのですが、
わたし個人としては、リアルに描かれているだけに、
イライラするところも多かったです。
(それだけ鋭く描かれている良著ということです)

自分でもよくわかっているのですが、
ウツ病患者ってとてもセルフィッシュなんです。
ほんとうにもう、自分のことしか見えていない。
自分が存在し続ける、ただそれだけのことに、
こころのエネルギーをめいいっぱい使ってしまうんです。
だからしかたのないことではあるのですが、
周りの人のことまで考えられないんですね。
もちろん、「申し訳ないな」というきもちも確かに存在して、
引き裂かれるような思いでいるわけですが、
だからといって、それを行動で示すこころの余裕がないんです。

わたしと同じく、この本の登場人物も同じ。
周りの家族はさぞかしたいへんだったろうと思うと、
申し訳ないな、自分ってダメなヤツだったな、
と自分と重ねてイライラしてきてしまう。

世の中にはウツ病に関する書籍はたくさんありますが、
この本は病気のことを知らない人ひとでも、
わかりやすく、楽しく読めると思います。

もしも、周囲の理解を得られずに苦しんでいるウツ病患者のひとがいらしたら、
この本をそっと渡してみるのも、いいのではないかと思います。

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夢をかなえるちから

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あさってから小さく職場復帰するわたしに、
小さな復帰の、その先にある大きな夢を忘れないように
鼓舞してくれる本を1冊。

遠山正道「スープで、いきます」

三菱商事の社員であった著者が、
社内起業で「Soup Stock Tokyo」を立ち上げ、
成功させるまでのストーリーです。
ビジネス書なんて、まるで読んだことのないわたしをも、
ググッと惹きこむ内容でした。

ビジネス力だ収益だ、処世術だとハードなことばかりでなく、
「だって好きだから」「みんなに伝えたい」
というやわらかなきもちが発端でも、
きちんと事業として成立させることはできるってこと。
もちろんそれは並大抵の熱意と努力ではないけれど、
先日の岸朝子さんの例も同じく、
「好きだから」「おもしろいから」を柱に、
立派にしごとをされているかたは、たくさんいるということに、
勇気づけられる一冊です。

そんな「やわらかビジネス」を象徴する
彼の事業計画書(本書内に収録)は、
わたしの今後の黄金のバイブルとなることでしょう。

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何があってもくじけない!

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ラブリーなアメリカのTVドラマ「アグリー・ベティ」に夢中です。

ストーリー自体はは昨年末にヒットした「プラダを着た悪魔」に、
なぜか酷似ています。
賢くて勤勉で、ガッツもあるけれど
致命的にファッションセンスに恵まれていない女の子が、
初めての就職でまかりまちがって
ニューヨークのトップ・ファッション誌編集長のアシスタントになってしまう。

見栄と虚飾のファッション業界で、
見ための醜い彼女はなにかとのけものにされ、
数々の悪辣な罠にかかるのですが、
生活のため、理想のため、
けっしてギブアップせず、
持ち前の知性と情熱でモードの荒波を泳いでいきます。

昨年の仕事納めの夜に、
ひとりで「プラダを着た悪魔」を見に行ったときも、
わたしは当時のみじめな自分と重ね合わせて、
思い切りスクリーンの中の世界にのめりこみましたが、
このドラマの主人公のベティちゃんは、
さらにビジュアル面で致命傷を負っていて、
手の差し伸べようがない、といった感じです。
より、視聴者の身の丈に合っているといったほうが正しいかな?

Betty_2 

アリャリャ…体型もそうですが
歯列矯正ブリッジをしているところもわたしと同じ!

善良でこころが暖かく、情熱を失わないベティの人柄に、
ついつい惹きこまれて、こころから応援してしまう!

そう、現実はドラマほどにはうまくいかないぶん、
ベティの成功と幸せに、きもちを託してしまうのです。

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めげるな、べティ! めげるな、わたし!

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働きウーマンの心得

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きもちを癒してくれるような作品ではないので、
このブログに紹介するにはふさわしくないかもしれませんが、
最近、夢中になって読んでいるのが「働きマン」。

しごとをするということ。おとなであるということ。

休職前のわたしは、職場でいろいろときついことを言われ、
それが言われのないいじめと感じることもありましたが、
この漫画を読んで、
「ああ、わたしがあるべき姿は、これだったのかなぁ?」
と、自分がイメージ不足の甘ったれだったということを
じんわり思い知らされました。
自分のすべきこと、求められていることに対して、
あまりにもぼんやりしすぎていたのだと思います。
周囲から見ていると頼りなくて無責任で、
黙っていられなかったのでしょう。

それなのに、あれしきのことでこころのバランスを崩したわたし。
そう言われても、しかたがないんだな、なんて
職場から離れて5ヶ月も経っていまごろ気づいたり。

しごとをするということ。おとなであるということ。

この漫画は、プロであることの心構えを
痛いほど、教えてくれます。

(同業のわたしには、耳が痛い作品です)

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よみがえる恋ごころ

Futon

日本文学史上初の私小説として、
誰もが国語の授業で一度は習う作品、
それなのに、実際に読まれることは多くない「蒲団」という小説。

これを現代語に書き下しながら、
主人公を作者の奥さんに置き換えた、
とてもユニークな作品が、この中島京子作の「Futon」。

この小説のユニークなゆえんはそれだけにとどまらず、
「“蒲団”という作品を現代語に書き下す者」を作中に登場させ、
その人自身(しかもその人はアメリカ人大学教授!)の色恋沙汰もあぶりだしているところ。
時代と海を越えたさまざまな恋愛模様が交錯し、色を塗り重ねて、
この作品の味わいを深めています。

どの時代にいても、
どの国に育っても、
恋するひとたちはみんな同じ。
切なくて、哀しくて、ひたむきで、
とてつもないパワーを秘めていて、
そして少しばかり滑稽。

実は、わたしがうつ病になって驚いた自分自身の症状に、
「恋愛に対してまったく興味がなくなった」
というのがあります。
興味や自信を失うどころか、どこか汚らわしく感じてしまい、
嫌悪感すら抱いていました。

そんな自分がとてもつまらない人間に思えて、
かわいそうでした。

だから、「くだらない」恋愛沙汰ごときで一喜一憂したり、
一生抜け出せない執着にとらわれたり、
時には地球の裏側まで飛んでいってしまうような
この作品の登場人物たちにこころから感情移入できたとき、
人生の喜びをとり戻せたような気がして、とてもうれしかったのです!

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幸せの処方箋、それは身近に転がっている

Photo

友人に誘われて、「幸せのレシピ」を見てきました。
まるで、いまのわたしのためにあるようなタイトルですが、
「一生懸命もいいけど、ちょっとのさじ加減で違う何かが見つかるかも。」
なんて、魅力的なコピーにも惹かれました。

作品としては、よくある「ハリウッド式・夢と挫折の2時間ストーリー」。
でもその軽妙さと夢見加減は、
弱ったこころにはとてもうれしい。

誰しも、器用に生きられない自分に
ぐったりしてしまうことはあるけれど、
まっすぐに毎日を生きて、
幸せをあきらめない勇気を持ち、
たまには距離を置いて自分を見つめてあげることを心がけたら、
いつかごほうびにめぐり逢えるかもしれませんね。

さて、この映画をいっしょに見た友人も作品の設定に似て、
おかあさんとかわいいムスメのふたりで、
寄り添ってちからをあわせて生きています。

まだまだコドモのわたしから見たら、
もう13年も母親をしている彼女は、
わたしとはまったく質の異なる年月を歩いただけあって、
やわらかさだとか、包容力を感じずにはいられません。

わたしの病気のことを知っているほかの友人は、
わたしのことを気づかってか、
病気のことにひと言も触れずにいてくれるどころか、
うつ病の「う」の字にも触れないでいてくれる。
ありがたいと思う反面、
それがあまりに不自然で気詰まりに思うことがあるのだけど、
彼女は初めて、わたしの病気のことを尋ね、
病気についていろいろと話してくれました。
それがとてもこころに沁みて、
映画を見た後もいい時間を過ごすことができました。

つまり……わたしが言いたいのは、
映画のなかでも日常生活でも、
幸せになれるひとときって、
案外身近に転がっているものなのだということ。

彼女の突然の呼び出しに、
えいっと腰を上げたからこそ、
思わぬところでよい時を過ごせたのです!

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