つれづれ

「ごめんなさい」の安売り

ほんとうは、自分が悪いとも思っていないのに、
相手の雰囲気に気おされてつい、
「ごめんなさい」と言ってしまう人は、うつ病になりやすいと読みました。

わたしは精神的怠け者なので、わりとこれを連発しています。

日常のいろいろなシーンにおいて、
先々に起こるかもしれない争いやいざこざのことを思うと、
つい面倒になって、軽易に「ごめんなさい」を言ってすませてしまうのです。
「謝るのはタダ」と思っているし……

でも、それって何の解決にもなっていないし、
自分にとって余計なストレスになることもあるだろうし、
なにより、相手に対して不誠実な態度かも。

イケナイ、と思ってはいるのですが、ついやってしまったり……イカンです。

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つちのえねずみ

唐突ですが、
旧暦(太陰暦)の新年(2月7日)を迎えてから、
ひと月半あまりが経ちました。

今年(正確に言うと、太陰暦の今年)の干支は、
60年に1回しかめぐってこない、
「つちのえねずみ」です。

太陰暦や干支を発明した中国の考えかたによると、
この年ほど「ことはじめ」に適している年はないそうです。

というのも、「ねずみ」は繁殖の象徴、
あたらしいいのちを産みだすシンボル。

加えて、今年は「つちのえ」。
これは何を示すかというと、文字通り「土」のことなのです。
これは中国の「五行思想」を反映したもので、
世の万物が「木・金・土・火・水」の五要素で成り立っているところからきています。
土=大地は、生命を生み育てる基盤。

つまり、今年は「何かを生み、育てる」星回りに来ていることになります。

ですから、今年新たにはじめたことは、
太陽の光を燦燦と浴びた肥沃な大地に芽生えるいのちのように、
そして、おおいなる繁殖力をもつねずみのように、
大きく豊かに育って、結実するのだそうです。

さて、わたしにとっての今年は、
昨年の病気という挫折を経て、
新しい生きかた、よりよい人生のありかたを模索すべきフェーズに来ています。

そんなときに、時機よくめぐってきたつちのえねずみ。

この幸運を逃さず、
実り多い未来を夢見て、
いろいろなことはじめにあたってみるつもりです。

太陰暦で数えると、
今年はあとまだ10ヶ月半の時間が残されていることになります。

この10ヶ月半が、勝負です!

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啓発夢・その4

過去のつらかった自分を夢に見たことをきっかけに、
過去の自分がどれだけハードワークに耐えてこられたのかを知り、
次に、以前ほどがんばれていない現在の自分に落ちこみ、
そのあと、
戻れない過去に大きく喪失感を抱えたまま
新しい自分に生まれ変わろうとしていなかった自分に気づき、
最後に、「できないことはできない」とやっときちんと認めることができた。

一晩の悪夢にうなされた、
たったそれだけのできごとが、
結果的に、わたしにいろいろなことを知らせ、考えさせてくれました。

うつを再発しないために、
いままでの生きかたも、いままでの自分も見直す、なんて
何度も何度も思い返していたくせに、
結局は、過去の思考枠にはめられたまま、
新しい道を探せずにいたのだな、と気がつきました。

例えば具体的なところでは、
生きていくための糧となる、しごとに対する考え方がそうです。

わたしは、元気になった暁には、
「人並みに」そして「十分食べていけるように」
なおかつ、「生活が安定するように」
再びどこかの会社にきちんと就職して、
毎月固定のお給料をもらって生活していく、

それ以外の選択肢や可能性を考えていなかったのです。

もちろん、以前のような業種や職種にはもう戻れないだろうから、
オーバーワークにならないように、
自分の能力ややりがいを発揮できるしごとを考えねば……
とは思っていましたが、
それはあくまで「会社員になる」という狭い枠の中で、
働きかたの選択肢を探るという思考に過ぎませんでした。

だから、現在している翻訳のアルバイトは、
あくまで「腰掛け」という位置づけにしか考えていなかったのです。
そろそろ水面下で就職活動「しなければ」などと、漠然と考えながら、
やりたいしごとなど何も思いつかない日々を送っていました。

もっともっと心身に健康で、
いままでとはスタイルを異にする、
新しいワークスタイルを見つけるためには、
もっと大胆に違う視点から考えないと!

そう思ったら、
なんだか、みるみる新しいアイディアが湧いてきました。

新しい働きかた(生きかたも含む)を確立することは、
いろいろな物事に対する「グレーゾーン」を増やすことなのではないかな?
と思っています。

いままでのわたしには到底考えつきもしなかったことなのですが、
これは、ひとつの大きなヒントになると思います。

いまのしごとを例えば「基本給」と考え、
つかず離れずで、細く長くつきあう。
そして、いわゆる営業職で言うような「歩合給」的な感覚で、
ほかにできること、もっとやってみたいことを考える。

もちろん、収入面で言えば、
あまり期待のできない状況になるのは致しかたないですが、
自分が求める条件を100%満たすことはそうそうできないものだし、
ここで、諦めることや妥協に甘んじることを学べばよいのです。
賢い取捨選択も必要。

いまの職場とそこそこにつきあう。
これが、第1のグレーゾーン。

そのほかのしごとは、やるときもあり、やらないときもある。
これが、第2のグレーゾーン。

これは、わたしにとって、かなり新しい考えかた。
そして、やってみればできそうなやりかた。

そのために、まずすべきことは、
いまのしごとに100%のちからを注がず、
70%のエネルギーでこなせるように調整すること。

うん、見えてきました!

ずいぶんひどい夢を見てしまったけれど、
この悪夢は、
なんだかとても建設的なアイディアを知らせてくれたようです。(おわり)

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啓発夢・その3

過去の「いろいろがんばれちゃう」自分。
忙しくてもつらくてもブルーでも、
どこかいきいきしている自分。

わたしにとっては、
そんな自分に戻ること=病後の自分の目標であり、
「うつ病から治ること」に、
それ以外の可能性を考えていませんでした。

だから、今日みたいに、
前の自分に戻れないと思うことがつらくなるのです。

日ごろつねづね、「前の自分には、もう戻れない自分」を自覚しながら、
こころのどこかで、
「前の自分に戻ること」が自分にとってのベストだと考えている自分は、
「そこそこの自分」に満足することを覚え、妥協することでしか、
もう幸せに生きる術はない、とどこか脅迫的に考えていました。

それでも、もう、前の自分に戻ることは不可能。

わたしは今回の夢見で、
それをほとんど徹底的に思い知ったことになります。

ん? ちょっと待てよ……

できないことはできない、と
身をもってきちんと思い知ることが、
そんなに悪いことなのかな?

ベッドの中で数時間、もやもやしているあいだに、
そんな考えが浮かんできました。

できもしないことを思い描きながら、
どこか諦めのきもちをもって生きていくことと、
「できないことはできない」ときちんとわかって生きていくことと、
どっちが建設的だろう?

そう考えると、わたしのなかに、
あたらしいきもちが生まれてきました。ほんとうに、不意に。

現にいまわたしは、過去の自分に夢の中で出逢い、
これほどつらくていやな思いをしたではないか?
そんな自分に戻ることが、自分にとってのベストだなんて、
どうして言えるだろう?

どう見てもあきらかに「ベストではない」、
そんな過去の自分に戻ろうとして、
こんなに悔しがっているなんて、
それはどこかおかしい。
むしろ、過去の自分を捨てることが、
新しい前進につながるのではないだろうか?

できないものを、きちんとできないと知る。

わたしは、こんなかんたんな事実を、
頭ではなく、初めてこころで、
認識することができたようです。(つづく)

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啓発夢・その2

ひさしぶりに見た夢で、
バリバリ働いていた当時のつらかったことを
いろいろと思い出してしまったわたし。

ネガティブ思考のスパイラルは、
次のように続きました。

ああ、あのころのわたしって、
こんなストレスやら、あんなプレッシャーやら、
いくつもいくつも同時に抱えて、
それは確かにつらかったけれども、
それでも健康を壊すことなく、
こころのバランスも崩すことなく、
なんとかかんとかやるべきしごともこなし、
自分の生活も保っていたんだなあ。

それと比べて、その後のわたしは、
あのころと比べれば、たいした困難もなく生活してきたはず。
ましてやいま現在は、
生活に困っているわけでもない、
しごとがタイヘンなわけでもない、
ぬるま湯のような環境にいさせてもらっている。

それなのに、
いつもどこか不安で、
いつもどこか不満で、
一体どうしたらいいんだろう? なんて、
もやもやと悩みながら毎日を過ごしている。

これって、あきらかな、しかも大きな後退ではないだろうか?

30歳も過ぎていい歳をして、
わたしは全然がんばれていない。
自分で自分をきちんと面倒見て、成長させてあげようとしていない。
ほんとうに、このままの自分で終わっていいのだろうか?

過去のがんばれていた自分と、
いまのがんばれていない自分を比べて、
それは情けないきもちに落ちていったのでした……

もうあのころの自分に戻れない自分。戻ろうともしていない自分。

そして、いくども寝返りをうちながら、
眠れない夜はまだまだ続きます。(つづく)

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啓発夢・その1

ひさしぶりに、しごとの夢でうなされてしまいました。

ハードワーカーだったころは毎晩だったのですが、
そのころよく見ていた夢のたぐい。

当時、毎月の締め切りのときに、
編集部で作成したすべての校了データを印刷工場に入稿する
という責任ある作業をしていたのですが、
そこでとんでもないミスをしてしまい、
会社に何百万の損失を出してしまうのです……!

そして、人間性をすべて否定されるような陰湿な叱責を浴びるわたし。

うなされてうなされて、はっと明け方に飛び起きました。

あー、夢だったんだ、よかった、
と思うと同時に、
すぐに寝直したら夢の続きを見てしまいそうで、
一生懸命、意識を眠らない方向へ集中。

目が冴えてくると、
今度は当時のいやだったこと、つらかったことのエピソードが
自分の意思に反してとめどもなく思い出されてきました。
いわれのない不本意なアクシデントでどなられたこと、
同じ部署内でなぜか自分だけが割に合わないしごとを負ったこと、
無責任で身勝手な上司に冷たく突き放されたこと、
自分は明らかに、上司や社長のイライラのはけ口にされていたことなど、
自分でも「よくこんなこと覚えてるな」と驚くような
細かなできごとのあれこれがフラッシュバックしてしまい、
ついに眠りにつくことができぬまま、
出勤時間を迎えてしまいました。

悔しくて悲しくてやるせなかったことの数々。

もともとわりと悲観的なタイプのわたしですが、
それでも実はたくさんのネガティブな思い出を、
「忘れたこと」にしてしまっているんだな、
ということに気がつきました。
こんなことも、あんなこともあったけれど、
今日の今日まですっかり記憶のどこかに飛んでいっていた。

かといって、それらのイヤな思い出は、
決して記憶から消えてしまったわけではなくて、
こころのどこかにある安全装置の中に、
頑丈にロックしてしまってあったんだということも知りました。

人間は、前向きに、そして幸せに生きるために、
こころのなかにこういったセキュリティシステムを持っているのでした。

しかし、この日、こじあけられてしまったわたしの安全装置は、
わたしのこころをめちゃくちゃに乱し、
ガタガタと崩してしまったのです。(つづく)

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主治医の先生のこと

いまの主治医の先生にはもう10ヶ月ほど診ていただいていますが、
昨日の診察で初めて、ことばの接ぎ穂に困る先生を見ました。

あまりにわたしから報告することが少なくて、
先生としても言うべきことがなくなったみたい。

「えーと、ほかに何か(話すこと)あったっけ?」と
ちょっと困った様子。
先生が動揺するのを初めて見たわたしは、
「先生も、やっぱり人間なんだな」と当たり前のことを思いました。

わたしの先生は、感情や表情を一切表に出さないお医者さんです。

笑顔も愛想も、一切ありませんが、
叱咤や批判も一切しない先生です。

ひとによってはもっと表情豊かに、
やさしくいたわるように接してくださる先生を求めるひともいることと思います。

けれど、わたしにとっては、
いつ、どんなときでもおしなべてニュートラルでいてくれるこの先生が、
とても合っていると感じています。

患者と一緒になって悩んだり喜んだり、
あるいは、
ときに叱ってくれるような先生だったとしたら、
わたしの感情も一緒になって振り回されて、
とても混乱しただろうと思うのです。

たまたま職場の近くにあり、
たまたま予約のとれたこの病院に、
飛びこみで診察することになったわたしですが、
偶然にもよい先生にめぐり逢えて、とてもよかったと思っています。
主治医の先生との相性は、からだの病気以上に、
ほんとうに治療を左右すると思いますから。

ただ、昨日の診察では、
わたしが興味を持っている認知行動療法については、
あまり積極的な説明を受けることはできませんでした。
先生いわく、欧米はまだしもまだ日本では、
このような治療法はきちんと確立していないのだそうです。

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再読・自分のブログ

思い立って、いままでのブログを読み返してみました。

毎回、心療内科に通院するスパンで、
前回の診察からそのときまでの症状の動きをふりかえる作業をするわけですが、
最近は以前のようにとくに目につく動きがなく、
いったい、回復に向かっているのかどうかを認識しづらいのです。

そこで、もっと長い目でふりかえってみて、
自分自身の回復具合を再確認してみようと。

読み返した結果、
やはり、記録することには大きな意味があるなと実感しました。

先週よりも今週が、
先月よりも今月が、
あきらかに、前進していることを確認。

考えていることもあきらかに明晰になってきていますし、
自分にできることも徐々に増えてきているのを感じます。

とくに、ブログを書きはじめた半年前からしばらくは、
いま考えてみても、「うつ病」という観点から言えば、
書くべきことはたくさんあっただろうにもかかわらず、
病気のことに触れた記述がほとんどないことが気になりました。

あくまで、いま現在と比べてみて、ですが、
自分の病気に向き合うことを少々、避けている感があります。

「今日は××があって楽しかった」「今日は○○がいい感じだった」

そんな楽しいことばかりの毎日ではなかったはずですが、
ほぼ毎日の日記がこの調子です。これは不自然。

むしろ、病気から離れつつあるいまのほうが、
よほど病気についてよく観察し、よく考え、よく書いている。

また、文章そのものの整然さ、という意味からも、
以前の日記はやや支離滅裂で、読みづらい記事が多かったです。
やはり思考の進めかたや整理のしかたで、
乱れている点があることが見受けられます。

読み出すとあっというまに時間が経ち、
なかなか充実したひとときでした。

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「ラクに生きる」を定義すると

[元・同僚とのトーク 続き]

5

一度、うつ病を発症したひとは、
60%の確率で再発するといいます。

こんな不吉なことを考えてはいけないけれど、
わたしは自分自身、かなりの確率で
将来、再発するのではないかと考えています。
性格や考えかた、行動様式(=病前性格)があまりに典型的うつ型で、
現在もなお、それに微塵の改善も加えていない(加えられない?)から。

そんなわたしに、
精神医学についていろいろ勉強している、
うつ病の元・同僚から、こんなお話とアイディアが。

*****

まず、うつ病の再発を防ぐには、
人生のプライオリティを絶対的に「心身の健康」に据えること。
(うつ病うんぬんに関係なく、これは大事ですけれど)

「心身の健康」を保つためにすべきことは、
「ラクに生きる」こと。
これは、決して怠惰になることを指しているのではなく、
わたし自身は、
「心身を常に身軽に保つ」ことだと解釈しています。

もっと具体的に掘り下げると、
それは万事から「適度な距離感」をとること。

何に対するにも、何をするにも、
“適度に”というさじ加減をつかむこと。
決して、“入りこみ”すぎないこと。

具体的な例で言うと、こんなことが挙げられるそうです。

・しごと熱心のあまり、
自分自身の職務範囲を越えているしごとにまで、手をつけないこと。
自分個人の責務を果たしたら、
たとえそれ以上のことが目の前に積まれても、
それは「ほかの誰か」がすべきことであり、
自分とは関係ないテリトリーのことと割り切ること。
責任感や良心、罪悪感から
ずるずると引き受けるのは、もってのほか。

・何かの集まりやパーティに参加して、
もし途中で疲れてしまったり、
自分にとって意味のない場だと気づいたときに、
すっぱり中座する勇気を持つこと。
最低限の礼儀さえ守れば、
誰にも不快な思いをさせることはない、ということを
きちんと知っておくこと。
不必要なしがらみに絡めとられないことが大事。

・他人の身の上に起こったできごとに対して、
まるで自分のことのように一喜一憂しないこと。
たとえどんな不幸話や相談ごとを持ちかけられても、
それはあくまで、他人の人生の問題であり、
自分自身のマターではないのだから、
感情移入しすぎたり、必要以上に親身になりすぎないこと。

以上、おしなべてわたしに「できていないこと」だったので、
少々がっくりきましたが、
自分のなかのぼんやりした懸念が、確信に変わりました。

わたしはこのまま生きていたら、必ず再びうつ病になる。

自分自身を幸せにしてあげるためには、
改善する努力を惜しまないことが不可欠だな、と。

自覚していますが、
いままであまりにも、そんな努力を怠ってきた気がします。
それどころか、むしろ“万事に入れこむ”自分を美化していました。
それが正しいことなのだ、と勝手に信じて……

オンナ32歳、これからでもしっかりやり直さないと!

同僚くん、目からウロコのアドバイスをありがとう!!

【写真】路上のあずまやで気ままに将棋を指すひとたち@中国・紹興市
このひとたちはぜったいに「ラク~に」生きているはず。ウラヤマシイです。

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さびしいときの男トモダチ

しごとに疲れて、
同じことの繰り返しの毎日にうんざりして、
とってもとっても楽しみにしていたはずの年末年始のお休み。

でも、わたしのホリデイは、
元気なふつうのひとたちとはぜんぜん色彩の違うもの。

どこかへ行く予定もない。
誰かに会う予定もない。

もちろん、予定は自分でつくるもので、
どこからか降ってくるものではないけれど、
わたしは予定をつくらなかった。
つくる元気もなかった。

何もすることがない。
したいことが何もない。
ただただ、毎日が無為に過ぎていく。

世の中のひとびとから、とても遅れをとっている感じ。

休暇らしい休暇もなく、
新年の目標も決意もなく、
また、このままつまらないしごとの毎日に戻っていくの?

寝ても覚めても、こころがつぶれそう。

そんな状態も、もう病気のせいにはできないから。
自分の力だけで、どうにかしていかないとならない。

苦しくてしかたなくて、
ふと、ずっと連絡をしていない男トモダチたちに、
「元気?」 ってメールを書いてみた。

無条件に、わたしを甘やかしてくれることばが聞きたくて……

こんな自分、サイテイだけど、
わたしはいま、何かとても大きな、よりかかれる何かがほしいのです。

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清く正しく、ゆるくいこう! 2008

夏の終わりから、どんなに眠くても疲れていても、
毎日欠かさなかったブログを1週間、お休みしているあいだに
清けき新年を迎えました。

ブログだけではなく、
この年末はいろいろことがぐちゃぐちゃになったまま、
なんとも中途半端に年明けのときを迎えてしまったのですが、
それはそれで、意味のあることとして受け止めておきます。
(理由はこのあとに。)

年末最後の一週間は毎日が残業続き、
とはいってもせいぜい2時間、3時間という単位だったのですが、
現在、うつ病もちのわたしにとってはもう必死、必死のひとことでした。

そして迎えたしごと納めの夜、
今度は39.5度という高熱に見舞われ、ダウン。
もう、こうなったら溜まっているブログも放置し放し、
おまけに大掃除をする元気まで奪われ、
部屋は埃だらけの散らかり放題、
ここまできたらあとはどうでもいいや、と
なんと、お風呂にも入らず元旦の今日を迎えることになりました。

心身ともに清廉潔白な感じでピリッと新年を迎えたい
日本人のわたしにとっては、なんとも不本意な年の明けです。

けれども、こうなったからには、
決して「不本意」などと思わず、
「こういう年もあるよね」と開き直って、
ゆるりといい加減に過ごすことに決めました。

というのも、
わたし自身、いままであまりにもたくさんの
「~ねばならない」に縛られて生活してきた気がするのです。

「~したい」「~しよう」ではなく、「~ねばならない」。

すませるべきしごと、
自分から望んでしているはずの遊びの計画、
終映前に見ておきたい映画、
友人に会う約束、
そんなことから、
部屋の掃除のしかた、
歯磨きの順番、
下着のたたみかた、などといった小さなことまで、
わたしのやることなすことといえば、ほとんどすべて、
「~したい」「~しよう」ではなく、
「~ねばならない」に基づいて動いてきた気がするのです。

そして、この「~ねばならない」から外れたことは、
おしなべて「不快なこと」「不本意なこと」に感じてきました。

わたしが昨年患った「うつ病」という病の、
これは、大きな大きな病原体であり、病巣だったのではないかな?
と、考えています。
自分で自分のことを縛っていた、そんな感覚。

この「~ねばならない」から、
自分を少し、解放してあげること。
こうすることで、今後は自分のことを病気の再発から遠ざけてあげないと。
つねづね、そう思っています。

ですから、
今年最初の「~ねばならない」追放運動として、
年末の大掃除やら、新年の決意、などといった
“義務”を踏み倒してやりました☆
踏み倒してもへっちゃらな自分、上等!

さて、それでも少しは新年らしいこともして過ごしました。

今年はじめて、わたしは「おとそ」というものをいただいてみたのです。

「おとそ(漢字では“お屠蘇”)」というお酒は、
けっして舌においしいものではありませんが、
新年にいただくのに、とても意味のあるもののようです。

おとそのはじまりは、
古代中国の名医・華佗が、
自ら調合した十数種の薬草をお酒に浸して飲んだのが
はじまりだそうです。

邪気を屠り(おとその“屠”)、魂を蘇らせる(おとその“蘇”)ことから、
厄をはらい、福寿を招くことを願っていただくのだとか。

はらってほしい厄でいっぱいのわたしは、
今朝がた、いっしょうけんめいに、おとそを飲みました。

さんざんだった昨年の厄年も、やっと越えました。
病気が完治し、あたらしい生きかたの指針を見つけ、
ほんわか幸せである一年を祈って、2008年に臨みます。

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はやとちり!

こんなわたしのことでも、
気に入ってくれるひとがいるんだなぁ、と思って、
ほんの少しだけ、
日々をドキドキ、ウキウキして過ごしていました。

こんなひとにかわいがられるのも、いいかなぁ? と……

だけど、それは、
どうやら勘違いなんだって、
そう思いました。

出逢いは、来年までおあずけ!!

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恋したいモード・つづき

Bbq3

恋したいモードが甦ってきた、
なんて話を書いてみましたが、
先々のことながら、とても悩ましいことがあります。

もしもこの先、
恋しいパートナーがみつかるようなことがあったら、
この病気のこと、話したほうがよいのかな? ってこと。

もしもそのとき、
病気が完治していたとしたら、
言わなくてもいいことは言わぬままにしておくのか?

でも、わたしのこころづもりとしては、
たとえ完治する日が来たとしても、
病気が再発するかもしれないというきもちとは、
一生つきあっていくことになると思うのです。
この病気、かなりの確率で再発するというし。

だから、パートナーにもこころの準備をしてもらわないといけない。
それを受け止めてくれるひとでないといけない。

きっと、話すのだろうけれど、
どういうタイミングで、どう話したものか……

まだ起きてもいないことを思いあぐねて、
ときどき悶々とする日々です。

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恋したいモード

10

かれこれ1年以上、恋愛していないわたしですが、
そもそもウツ病となってからは、
出逢いを求めるというよりも、
恋愛アレルギーに陥っていました。

恋愛だとか、異性に対して、
興味を失うどころか、
汚らしい! 触りたくない! 考えたくない!
と激しい嫌悪感を抱くようになったのです。

わたしが分析するには、理由はこのようなこと。

恋愛、とは子孫を残すことに繋がる行為。
でも、ウツ病になってしまったわたしは、
食欲や睡眠など、生存に必要なファクターに支障が出てしまい、
ひとつの生命体として、
自分自身が生命維持の危機に陥った。
そのため、残されたわずかなエネルギーを
自分の存続へ全投入するために、
いのちの繁殖に繋がる恋愛を、
生存プログラムから一時的に消去した。

なんて。
でも、あながちまちがっていないと思います。

だからこそ、こころのエネルギーに余裕の戻りつつある最近は、
自然と恋愛への興味も再燃してきました。

でも当然、まだまだエネルギー不足なので、
実行に移すことはなく、興味本位にとどまっていますが。

それに、いまのままの体重では自分に自信もなく……
まずは抗ウツ剤減量→体重も減量→パートナー探し
と、段階を踏んでいかないと。

だけど、ウズウズ。
来年は、のびのびとしたステキな恋愛がしてみたい!

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100日め

8

今日はブログをはじめて100日め。

どこまで続くのかわからなかったブログですが、
いちおうここまでは毎日書き溜めることができました。

このブログをはじめる前、
まだ病気の症状が顕著だったころは、
毎日が書くべきことでいっぱいだったのですが、
これを書くことができるいまは、
逆にウツ病らしいことがあまり書けていないような気がします。

長く続けたいとは思いますが、
このブログをおしまいにするときが、
ウツ病を卒業するときでもあると思うと、
その日が待ち遠しくもあったりします。

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香りの記憶

お部屋を掃除していたら、
ふと目に留まったのがとある香水の瓶。
買ったのはもう、4年も前になる。
使わないようになって、もう2年以上になる。

思わず手にとって、つけてみました。

香りの記憶って、ほんとうに力を持っていて、
わたしを一瞬にして、当時の空気に引き戻してしまう。

この香水は、少し年齢を重ねた男性向きのもの。
わたしにとってはいわくつきの香水で、
当時、ふられてしまった彼の部屋を最後に訪れたときに、
バスルームに置いてあるのを見かけたのです。

彼に捨てられてしまい、
悲しくてたまらなかったわたしは、
会いたくても会えない彼のかわりに、
この香水を身につけることにしました。
これを使い終わったときに、もう彼のことは忘れようと。

そしていま、
長らく閉めっぱなしになっていたこころの引き出しが、
いくつもいくつも開いて、
あのころのいろんなきもちが、甦ってきます。

ほんの少しのなつかしさと甘さ、ほろ苦さ……

でも、こころはふしぎと落ちついていて、
なんだか彼に守られているような、
彼がいまでも見守ってくれているような、
そんな気分になりました。

これから、こころがくじけそうになったときに、
また身に着けてみようかな、とうっすら思いました。

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ちっとも体重なんて減りやしない

Market2

「しごと復帰したら、気疲れもあって体重は自然に減ってきますよ」

たしかに主治医の先生はそう言ったはず。

それに、通勤は行きも帰りもひとつ手前の駅で降りて、
せっせと歩いているんです。

けれど、なのに、
しごとをはじめて10日、
体重なんて1gたりとも減りはしません!

先生の、うそつきーーーーー!!

でも、食欲が減らずにいられるということは、
病気の状態としては喜ぶべきことなのですけれどね。

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わたしはとっても恵まれている

同じ病気のかたのブログだとか、BBSだとか、
ふだんはあまり見ていないのですが、
今日、ひさしぶりにmixiのコミュニティを見ていて愕然としました。

うつ病患者の多くのひとが、
家族に、友人に、恋人に、
理解のない冷たいしうちを受けているものです。

わたし自身は理解のない職場には苦しみましたが、
家族や友人にはとても恵まれています。
家族は多くを詮索せず、
黙ってあたたかく見守ってくれています。
友人は、病気のわたしを特別扱いせず、
つかず離れずで同じく見守ってくれています。

理解のない職場はサヨナラすればおしまいですが、
サヨナラできない家族や友人に邪険にされたら、
どんなにつらいことか。涙が出そうです。

そしてわたしは、とっても恵まれています。

この世界のどっかの片隅で、
病気を理解してもらえず苦しんでいる方たちを思いながら、
自分の幸せを噛みしめながら、
みなさんと一緒に闘っていきたい。

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わたしはとっても恵まれている

同じ病気のかたのブログだとか、BBSだとか、
ふだんはあまり見ていないのですが、
今日、ひさしぶりにmixiのコミュニティを見ていて愕然としました。

うつ病患者の多くのひとが、
家族に、友人に、恋人に、
理解のない冷たいしうちを受けているものです。

わたし自身は理解のない職場には苦しみましたが、
家族や友人にはとても恵まれています。
家族は多くを詮索せず、
黙ってあたたかく見守ってくれています。
友人は、病気のわたしを特別扱いせず、
つかず離れずで同じく見守ってくれています。

理解のない職場はサヨナラすればおしまいですが、
サヨナラできない家族や友人に邪険にされたら、
どんなにつらいことか。涙が出そうです。

そしてわたしは、とっても恵まれています。

この世界のどっかの片隅で、
病気を理解してもらえず苦しんでいる方たちを思いながら、
自分の幸せを噛みしめながら、
みなさんと一緒に闘っていきたい。

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ネガティブを表現すること

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このブログにも何度となく書きましたが、
わたしはこの病気になってから
周囲の人はおろか、家族にさえも、
「元気がない」「いままでとちがう」と
言われたことがありません。

他者から見ると、
とても元気を失い、常軌を逸しているようには見えないらしいのです。

つらいことをつらい、
いやなものをいや、
できないものをできない、
そういったことをきちんと表現できるように、
と主治医の先生に言われてはいるのですが、
無意識のうちに表面を取り繕ってしまう悪い癖は、
そうそう簡単に直るものでもありません。

闘病を綴ったこのブログにも、
ふり返れば、日々の不健康なこもごもをあまり書けているとは言えず、
毎日遊んで楽しく暮らしている、
ふつうの日記になっている節もあるような。

これではこのブログの存在意義は失われてしまうのですが、
どうもきれいにまとまりすぎている。

愚痴や弱音ばかりになってしまっては
あとから読み返すのもしのびないものですが、
もっともっと自分のこころを詳細に観察して、
真実を綴ることができるようになりたいものです。

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断酒、シテマスカ?!?!

初対面のステキな女性との会食、
緊張感を隠すために飲んでしまった1杯のビール。
ちょっと効きめが過ぎて、
はずかしいくらいに顔は上気し、頭はボーっとしてしまいました。

最近、少量ながらアルコールを口にするペースが上がっていますが、
ここで、抗鬱剤の服用と飲酒の関係を整理します。

1)抗不安剤、睡眠薬との併用はぜったいに避けること。

2)飲酒後の抗鬱剤(わたしの場合はデプロメールとアモキサン)の服用は、
おおよそ3時間以上間隔を置けばOK。もちろん、飲酒量は少量で!

3)わたしの感覚では、逆に抗鬱剤服用後は6、7時間空けないと、
飲酒にもれなくバッドトリップがついてきます。

4)いずれにせよ、抗鬱剤の服用期間は
非常にアルコールに弱くなっているため、量は控えること。

最初の3ヶ月ほどは熱心に断酒をしていたのですが、
こうも治療期間が長いと、なかなかガマンできないものです。

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異国のおもいで便り -その1-

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上海時代の友人から、
頼んでおいた小包が、今朝届きました。

当時親しんでいた食品がたくさん詰まった封を開けた瞬間、
思い出がいっきに甦りました。
それも、具体的なできごとや風景ではなく、
もっと感覚的な生活の断片が、いくつもいくつも。

住んでいたアパートの階段の湿り気とか、
休日の夕方にベッドから起き出したときの部屋の暗さとか、
深夜にタクシーを走らせるときの車内の沈黙とか、
いつも遠くに聞こえている工事中の音とか、
ひとりで歩く夜の大通りの、ふとしたわびしさとか。

なぜか思い出す断片はすべて、
じめじめと暗くて、孤独な影を伴っているのですが、
ふしぎとそれは悲壮ではなくて、どこかここちよくて、
たとえようもなく恋しいもの。

そう、それは、
楽しいのにもの悲しくて、なつかしいのにさびしい、
過ぎし日の縁日に寄せる感傷にそっくりだってことに気づきました!

熱に浮かされたようにきらびやかな喧騒の中に
空虚やはかなさ、そしてどこか醒めた感じを孕んでいる、
上海の街そのものが、お祭り騒ぎみたいなものだからでしょう。

ひとりぼっちで、守ってくれる者もない異国の生活でしたが、
あのころは確かに、自分自身の足でしっかりと立っていた。
思い返しても、そんな自分がかつて存在していたことが、
いまの弱りきった自分には、幻のように感じられる。
あの日の生活に帰りたいな…… と、
しばし甘い悲しさを咀嚼するひととき。
また、あのころの強くて不敵な自分は、とりもどせるでしょうか?

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回復期限

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「こころの風邪」とはいうものの、
うつ病は、風邪ほどかんたんには、治らない。

完治には秋までかかると言われて、当初は気が遠くなったけど、
それはほんとうでした。
むしろ、10月になった今日も、完全に前の自分を取り戻したとはいえない。

「前の自分を取り戻す」という考え方自体、
まちがっているのかもしれなくて、
元気は取り戻しても、
これからは違う自分になるのだと思ったほうがいいのかも。

ある意味、別の自分になれないと、
また病気を繰り返すかもしれないし……

【写真】秋の声を伝える、だいすきな紅玉が店頭に出ました。
旬は短いけれど、富士よりもずっと好きです。

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天使、やってきました!

Angel

昨日の天使の話の続き。

この話を聞いて目からうろこが落ちる思いのわたしに、
小さな吉報がふたつ、舞いこみました。

小さなチャンスだけど、
わたしに勇気と自信を与えてくれるといいな。

天使がくれたチャンスを、きちんとつかむのは自分。
ちょっと不安だけど、
気をしっかり持って、ガンバリます。

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ユウウツな著名人

チャーチル、ヘミングウェイ、トルストイ、カミュ、ドフトエフスキー、
ゲーテ、チャイコフスキー、シベリウス、ダーウィン、フロイト、
リンカーン、夏目漱石、太宰治、有島武郎、宮沢賢治、
吉行淳之介、山口瞳、開高健、……

これら憂鬱な著名人。

とくに芸術家肌のひとに多いらしいです。
わたしのアートスクール時代の同級生にもやはり数人、
同じ病気を患ったひとがいます。

こうして思えば、
わたしもゲージュツ家、天才肌なのかも!
と、 元気づけられるきがします! アーティストの勲章、なんてね。 

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もう、あと1歩たりとも動けない

「もう、あと1歩たりとも動けない。あと1日たりとも持たない。」
そんな悲痛な表情を浮かべた安倍総理の辞任会見でした。

政治について何も語るものを持たないわたしですが、
今回の総理辞任を見るにつけ、
自分自身が、うつ病による休職に至った経緯を見るようで、
いたたまれなかったので、一筆。

参議院選挙の惨敗にも続投を辞さず、
たった数日前にも「職を賭して」と発言し、
所信表明演説まで行った矢先の辞任表明は、
端から見ればあまりに突拍子なく、
無責任だと言われてもしかたのない引き際です。

けれど、(わたしの穿った見方かもしれませんが)
総理自身の胸のうちでは、もうずいぶんの間、
「もうできない。前へ進む力がない」との思いに
さいなまれていたのではないでしょうか。

彼の政治的な失策については明るくないですし、
それを論じることもわたしにはままなりませんが、
このところの安倍総理は、
もはやどちらへ歩を進めても道を絶たれ、糾弾の餌食になる、
この繰り返しだったことから、相当に悩ましかったことと察します。

それでも一国の総理、サラリーマンとはわけが違います。
「もうできないから、辞めます」というわけには無論いかず、
「なにがなんでもやり遂げます」といった趣旨の発言を繰り返し、
自分をなんとか鼓舞ながらも、その度にこころの内で
「いや、もうできないんだ!」と叫び、
虚ろな思いに覆われていたのではないでしょうか。

そしてこの両日、
なんとか繋ぎとめていた最後の糸が、
突発的にぷっつりと切れてしまったのだと思います。

前日、風邪を理由に早く公務を切り上げ、
今日、予定されていた大事な代表質問を突如キャンセル。
非常識を押してでもやむを得ないほどの、こころのエマージェンシー、
大きな赤信号が点ってしまった……

(逆に、もしそうでないのだとしたら、
このような幕の引き方は理解しがたいものがあります。)

わたし自身、うつ病を患いながらも、
なんとか病状と折り合いをつけながら勤務を続けてきました。
自分の中では、いつ息切れするかわからないギリギリの状態でしたが、
それでもなんとか業務を全うしたく、
「やれると思います」「なんとかします」を繰り返し、
そんな自分の発言に、
もう一人の自分がどこか空しい視線を投げかけながら、
最終的には力尽きてしまいました。
傍目から見れば、まさしく、安倍総理と同じく「突発的な」終わりかたでした。

おとなとして、社会人として、あってはいけない事態。

こうした事態を招かないためには、
日ごろから自分をかわいがって、ケアすること。
「よい意味で」わがままであること。
すなわち、無私の精神やら愛社精神やら、
しごと熱心やら責任感やらを発揮しすぎないこと。

それが結局、自分自身にとっても、他者にとっても、
ここちよくいられるための何よりの秘訣です。

……などということを、総理の辞任会見を見ながら考えました。

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Picnic in the Rain

Rain2

一世を風靡したスーパーモデルのナオミ・キャンベルが、
過去に歌手としてデビューしていた事実を知る人はあまりいないかもしれませんが、
かつて彼女の曲に「Picnic in the Rain(雨のピクニック)」という曲がありました。

雨の日にピクニック! 

熱気を含んだ今日のような雨の日に、
いつかそんな遊びもしてみたいなぁ、と夢想することがあります。

わたしが勝手に思い描くPicnic in the Rainのイメージは……

手づくりのランチボックスも、アウトドア用品も持たず、
おおよそピクニックには似つかわしくないミニドレスと華奢な靴で、
サラサラと静けさを埋める雨音に耳を傾け、
恋人とシャンペンのグラスをチン、と合わせながら、
こずえから滴る水玉に打たれるままにしっとりと濡れる、
そんな官能的なシーンです。

こんなことをとめどもなく想像する雨降りの日も、
なかなかに味わい深いものです。

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こころの修行

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なんとか忘れずにいた、今日は元彼の誕生日。

まだぜんぜん彼のことを許してはいないし、
まだぜんぜん楽しかった思い出はよみがえってこなく、
別れたときのいやなきもちしか思い出せませんが、
それでも喜ばしい日にはかわりはなく、
素直におめでとうのメールを送ってみました。

美しかった過去だけをこころに残し、
それらをいつくしみ、感謝もできる自分になるための、
これは、こころの修行。

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ブログのシステムって、すごい!

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ブログ初心者には少々オドロキなのだけど、
アップロードされた前々回の日記
http://depressivenikita.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/1_be96.html
を見て「あっ!」と声をあげました。

日記の文末についてくる
スポンサー広告のラインナップが実に的確なのです。

題して、
「うつ病からの脱出」
「職場のいじめから即日開放」
「わたしとうつを治しませんか?」
ナンダカあやしげな雰囲気……

感心するのもつかの間、
これではまるで自分が精神的問題児みたいで、
苦笑してしまいます。

【写真】中華街で見つけたブルース・リーの、ベビー服!

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カテゴリ■つれづれ

沈思、熟考。

もの思いに耽ることがだいすきな、

わたしのひとりごと。

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