つれづれ

「ごめんなさい」の安売り

ほんとうは、自分が悪いとも思っていないのに、
相手の雰囲気に気おされてつい、
「ごめんなさい」と言ってしまう人は、うつ病になりやすいと読みました。

わたしは精神的怠け者なので、わりとこれを連発しています。

日常のいろいろなシーンにおいて、
先々に起こるかもしれない争いやいざこざのことを思うと、
つい面倒になって、軽易に「ごめんなさい」を言ってすませてしまうのです。
「謝るのはタダ」と思っているし……

でも、それって何の解決にもなっていないし、
自分にとって余計なストレスになることもあるだろうし、
なにより、相手に対して不誠実な態度かも。

イケナイ、と思ってはいるのですが、ついやってしまったり……イカンです。

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つちのえねずみ

唐突ですが、
旧暦(太陰暦)の新年(2月7日)を迎えてから、
ひと月半あまりが経ちました。

今年(正確に言うと、太陰暦の今年)の干支は、
60年に1回しかめぐってこない、
「つちのえねずみ」です。

太陰暦や干支を発明した中国の考えかたによると、
この年ほど「ことはじめ」に適している年はないそうです。

というのも、「ねずみ」は繁殖の象徴、
あたらしいいのちを産みだすシンボル。

加えて、今年は「つちのえ」。
これは何を示すかというと、文字通り「土」のことなのです。
これは中国の「五行思想」を反映したもので、
世の万物が「木・金・土・火・水」の五要素で成り立っているところからきています。
土=大地は、生命を生み育てる基盤。

つまり、今年は「何かを生み、育てる」星回りに来ていることになります。

ですから、今年新たにはじめたことは、
太陽の光を燦燦と浴びた肥沃な大地に芽生えるいのちのように、
そして、おおいなる繁殖力をもつねずみのように、
大きく豊かに育って、結実するのだそうです。

さて、わたしにとっての今年は、
昨年の病気という挫折を経て、
新しい生きかた、よりよい人生のありかたを模索すべきフェーズに来ています。

そんなときに、時機よくめぐってきたつちのえねずみ。

この幸運を逃さず、
実り多い未来を夢見て、
いろいろなことはじめにあたってみるつもりです。

太陰暦で数えると、
今年はあとまだ10ヶ月半の時間が残されていることになります。

この10ヶ月半が、勝負です!

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啓発夢・その4

過去のつらかった自分を夢に見たことをきっかけに、
過去の自分がどれだけハードワークに耐えてこられたのかを知り、
次に、以前ほどがんばれていない現在の自分に落ちこみ、
そのあと、
戻れない過去に大きく喪失感を抱えたまま
新しい自分に生まれ変わろうとしていなかった自分に気づき、
最後に、「できないことはできない」とやっときちんと認めることができた。

一晩の悪夢にうなされた、
たったそれだけのできごとが、
結果的に、わたしにいろいろなことを知らせ、考えさせてくれました。

うつを再発しないために、
いままでの生きかたも、いままでの自分も見直す、なんて
何度も何度も思い返していたくせに、
結局は、過去の思考枠にはめられたまま、
新しい道を探せずにいたのだな、と気がつきました。

例えば具体的なところでは、
生きていくための糧となる、しごとに対する考え方がそうです。

わたしは、元気になった暁には、
「人並みに」そして「十分食べていけるように」
なおかつ、「生活が安定するように」
再びどこかの会社にきちんと就職して、
毎月固定のお給料をもらって生活していく、

それ以外の選択肢や可能性を考えていなかったのです。

もちろん、以前のような業種や職種にはもう戻れないだろうから、
オーバーワークにならないように、
自分の能力ややりがいを発揮できるしごとを考えねば……
とは思っていましたが、
それはあくまで「会社員になる」という狭い枠の中で、
働きかたの選択肢を探るという思考に過ぎませんでした。

だから、現在している翻訳のアルバイトは、
あくまで「腰掛け」という位置づけにしか考えていなかったのです。
そろそろ水面下で就職活動「しなければ」などと、漠然と考えながら、
やりたいしごとなど何も思いつかない日々を送っていました。

もっともっと心身に健康で、
いままでとはスタイルを異にする、
新しいワークスタイルを見つけるためには、
もっと大胆に違う視点から考えないと!

そう思ったら、
なんだか、みるみる新しいアイディアが湧いてきました。

新しい働きかた(生きかたも含む)を確立することは、
いろいろな物事に対する「グレーゾーン」を増やすことなのではないかな?
と思っています。

いままでのわたしには到底考えつきもしなかったことなのですが、
これは、ひとつの大きなヒントになると思います。

いまのしごとを例えば「基本給」と考え、
つかず離れずで、細く長くつきあう。
そして、いわゆる営業職で言うような「歩合給」的な感覚で、
ほかにできること、もっとやってみたいことを考える。

もちろん、収入面で言えば、
あまり期待のできない状況になるのは致しかたないですが、
自分が求める条件を100%満たすことはそうそうできないものだし、
ここで、諦めることや妥協に甘んじることを学べばよいのです。
賢い取捨選択も必要。

いまの職場とそこそこにつきあう。
これが、第1のグレーゾーン。

そのほかのしごとは、やるときもあり、やらないときもある。
これが、第2のグレーゾーン。

これは、わたしにとって、かなり新しい考えかた。
そして、やってみればできそうなやりかた。

そのために、まずすべきことは、
いまのしごとに100%のちからを注がず、
70%のエネルギーでこなせるように調整すること。

うん、見えてきました!

ずいぶんひどい夢を見てしまったけれど、
この悪夢は、
なんだかとても建設的なアイディアを知らせてくれたようです。(おわり)

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啓発夢・その3

過去の「いろいろがんばれちゃう」自分。
忙しくてもつらくてもブルーでも、
どこかいきいきしている自分。

わたしにとっては、
そんな自分に戻ること=病後の自分の目標であり、
「うつ病から治ること」に、
それ以外の可能性を考えていませんでした。

だから、今日みたいに、
前の自分に戻れないと思うことがつらくなるのです。

日ごろつねづね、「前の自分には、もう戻れない自分」を自覚しながら、
こころのどこかで、
「前の自分に戻ること」が自分にとってのベストだと考えている自分は、
「そこそこの自分」に満足することを覚え、妥協することでしか、
もう幸せに生きる術はない、とどこか脅迫的に考えていました。

それでも、もう、前の自分に戻ることは不可能。

わたしは今回の夢見で、
それをほとんど徹底的に思い知ったことになります。

ん? ちょっと待てよ……

できないことはできない、と
身をもってきちんと思い知ることが、
そんなに悪いことなのかな?

ベッドの中で数時間、もやもやしているあいだに、
そんな考えが浮かんできました。

できもしないことを思い描きながら、
どこか諦めのきもちをもって生きていくことと、
「できないことはできない」ときちんとわかって生きていくことと、
どっちが建設的だろう?

そう考えると、わたしのなかに、
あたらしいきもちが生まれてきました。ほんとうに、不意に。

現にいまわたしは、過去の自分に夢の中で出逢い、
これほどつらくていやな思いをしたではないか?
そんな自分に戻ることが、自分にとってのベストだなんて、
どうして言えるだろう?

どう見てもあきらかに「ベストではない」、
そんな過去の自分に戻ろうとして、
こんなに悔しがっているなんて、
それはどこかおかしい。
むしろ、過去の自分を捨てることが、
新しい前進につながるのではないだろうか?

できないものを、きちんとできないと知る。

わたしは、こんなかんたんな事実を、
頭ではなく、初めてこころで、
認識することができたようです。(つづく)

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啓発夢・その2

ひさしぶりに見た夢で、
バリバリ働いていた当時のつらかったことを
いろいろと思い出してしまったわたし。

ネガティブ思考のスパイラルは、
次のように続きました。

ああ、あのころのわたしって、
こんなストレスやら、あんなプレッシャーやら、
いくつもいくつも同時に抱えて、
それは確かにつらかったけれども、
それでも健康を壊すことなく、
こころのバランスも崩すことなく、
なんとかかんとかやるべきしごともこなし、
自分の生活も保っていたんだなあ。

それと比べて、その後のわたしは、
あのころと比べれば、たいした困難もなく生活してきたはず。
ましてやいま現在は、
生活に困っているわけでもない、
しごとがタイヘンなわけでもない、
ぬるま湯のような環境にいさせてもらっている。

それなのに、
いつもどこか不安で、
いつもどこか不満で、
一体どうしたらいいんだろう? なんて、
もやもやと悩みながら毎日を過ごしている。

これって、あきらかな、しかも大きな後退ではないだろうか?

30歳も過ぎていい歳をして、
わたしは全然がんばれていない。
自分で自分をきちんと面倒見て、成長させてあげようとしていない。
ほんとうに、このままの自分で終わっていいのだろうか?

過去のがんばれていた自分と、
いまのがんばれていない自分を比べて、
それは情けないきもちに落ちていったのでした……

もうあのころの自分に戻れない自分。戻ろうともしていない自分。

そして、いくども寝返りをうちながら、
眠れない夜はまだまだ続きます。(つづく)

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啓発夢・その1

ひさしぶりに、しごとの夢でうなされてしまいました。

ハードワーカーだったころは毎晩だったのですが、
そのころよく見ていた夢のたぐい。

当時、毎月の締め切りのときに、
編集部で作成したすべての校了データを印刷工場に入稿する
という責任ある作業をしていたのですが、
そこでとんでもないミスをしてしまい、
会社に何百万の損失を出してしまうのです……!

そして、人間性をすべて否定されるような陰湿な叱責を浴びるわたし。

うなされてうなされて、はっと明け方に飛び起きました。

あー、夢だったんだ、よかった、
と思うと同時に、
すぐに寝直したら夢の続きを見てしまいそうで、
一生懸命、意識を眠らない方向へ集中。

目が冴えてくると、
今度は当時のいやだったこと、つらかったことのエピソードが
自分の意思に反してとめどもなく思い出されてきました。
いわれのない不本意なアクシデントでどなられたこと、
同じ部署内でなぜか自分だけが割に合わないしごとを負ったこと、
無責任で身勝手な上司に冷たく突き放されたこと、
自分は明らかに、上司や社長のイライラのはけ口にされていたことなど、
自分でも「よくこんなこと覚えてるな」と驚くような
細かなできごとのあれこれがフラッシュバックしてしまい、
ついに眠りにつくことができぬまま、
出勤時間を迎えてしまいました。

悔しくて悲しくてやるせなかったことの数々。

もともとわりと悲観的なタイプのわたしですが、
それでも実はたくさんのネガティブな思い出を、
「忘れたこと」にしてしまっているんだな、
ということに気がつきました。
こんなことも、あんなこともあったけれど、
今日の今日まですっかり記憶のどこかに飛んでいっていた。

かといって、それらのイヤな思い出は、
決して記憶から消えてしまったわけではなくて、
こころのどこかにある安全装置の中に、
頑丈にロックしてしまってあったんだということも知りました。

人間は、前向きに、そして幸せに生きるために、
こころのなかにこういったセキュリティシステムを持っているのでした。

しかし、この日、こじあけられてしまったわたしの安全装置は、
わたしのこころをめちゃくちゃに乱し、
ガタガタと崩してしまったのです。(つづく)

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主治医の先生のこと

いまの主治医の先生にはもう10ヶ月ほど診ていただいていますが、
昨日の診察で初めて、ことばの接ぎ穂に困る先生を見ました。

あまりにわたしから報告することが少なくて、
先生としても言うべきことがなくなったみたい。

「えーと、ほかに何か(話すこと)あったっけ?」と
ちょっと困った様子。
先生が動揺するのを初めて見たわたしは、
「先生も、やっぱり人間なんだな」と当たり前のことを思いました。

わたしの先生は、感情や表情を一切表に出さないお医者さんです。

笑顔も愛想も、一切ありませんが、
叱咤や批判も一切しない先生です。

ひとによってはもっと表情豊かに、
やさしくいたわるように接してくださる先生を求めるひともいることと思います。

けれど、わたしにとっては、
いつ、どんなときでもおしなべてニュートラルでいてくれるこの先生が、
とても合っていると感じています。

患者と一緒になって悩んだり喜んだり、
あるいは、
ときに叱ってくれるような先生だったとしたら、
わたしの感情も一緒になって振り回されて、
とても混乱しただろうと思うのです。

たまたま職場の近くにあり、
たまたま予約のとれたこの病院に、
飛びこみで診察することになったわたしですが、
偶然にもよい先生にめぐり逢えて、とてもよかったと思っています。
主治医の先生との相性は、からだの病気以上に、
ほんとうに治療を左右すると思いますから。

ただ、昨日の診察では、
わたしが興味を持っている認知行動療法については、
あまり積極的な説明を受けることはできませんでした。
先生いわく、欧米はまだしもまだ日本では、
このような治療法はきちんと確立していないのだそうです。

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再読・自分のブログ

思い立って、いままでのブログを読み返してみました。

毎回、心療内科に通院するスパンで、
前回の診察からそのときまでの症状の動きをふりかえる作業をするわけですが、
最近は以前のようにとくに目につく動きがなく、
いったい、回復に向かっているのかどうかを認識しづらいのです。

そこで、もっと長い目でふりかえってみて、
自分自身の回復具合を再確認してみようと。

読み返した結果、
やはり、記録することには大きな意味があるなと実感しました。

先週よりも今週が、
先月よりも今月が、
あきらかに、前進していることを確認。

考えていることもあきらかに明晰になってきていますし、
自分にできることも徐々に増えてきているのを感じます。

とくに、ブログを書きはじめた半年前からしばらくは、
いま考えてみても、「うつ病」という観点から言えば、
書くべきことはたくさんあっただろうにもかかわらず、
病気のことに触れた記述がほとんどないことが気になりました。

あくまで、いま現在と比べてみて、ですが、
自分の病気に向き合うことを少々、避けている感があります。

「今日は××があって楽しかった」「今日は○○がいい感じだった」

そんな楽しいことばかりの毎日ではなかったはずですが、
ほぼ毎日の日記がこの調子です。これは不自然。

むしろ、病気から離れつつあるいまのほうが、
よほど病気についてよく観察し、よく考え、よく書いている。

また、文章そのものの整然さ、という意味からも、
以前の日記はやや支離滅裂で、読みづらい記事が多かったです。
やはり思考の進めかたや整理のしかたで、
乱れている点があることが見受けられます。

読み出すとあっというまに時間が経ち、
なかなか充実したひとときでした。

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「ラクに生きる」を定義すると

[元・同僚とのトーク 続き]

5

一度、うつ病を発症したひとは、
60%の確率で再発するといいます。

こんな不吉なことを考えてはいけないけれど、
わたしは自分自身、かなりの確率で
将来、再発するのではないかと考えています。
性格や考えかた、行動様式(=病前性格)があまりに典型的うつ型で、
現在もなお、それに微塵の改善も加えていない(加えられない?)から。

そんなわたしに、
精神医学についていろいろ勉強している、
うつ病の元・同僚から、こんなお話とアイディアが。

*****

まず、うつ病の再発を防ぐには、
人生のプライオリティを絶対的に「心身の健康」に据えること。
(うつ病うんぬんに関係なく、これは大事ですけれど)

「心身の健康」を保つためにすべきことは、
「ラクに生きる」こと。
これは、決して怠惰になることを指しているのではなく、
わたし自身は、
「心身を常に身軽に保つ」ことだと解釈しています。

もっと具体的に掘り下げると、
それは万事から「適度な距離感」をとること。

何に対するにも、何をするにも、
“適度に”というさじ加減をつかむこと。
決して、“入りこみ”すぎないこと。

具体的な例で言うと、こんなことが挙げられるそうです。

・しごと熱心のあまり、
自分自身の職務範囲を越えているしごとにまで、手をつけないこと。
自分個人の責務を果たしたら、
たとえそれ以上のことが目の前に積まれても、
それは「ほかの誰か」がすべきことであり、
自分とは関係ないテリトリーのことと割り切ること。
責任感や良心、罪悪感から
ずるずると引き受けるのは、もってのほか。

・何かの集まりやパーティに参加して、
もし途中で疲れてしまったり、
自分にとって意味のない場だと気づいたときに、
すっぱり中座する勇気を持つこと。
最低限の礼儀さえ守れば、
誰にも不快な思いをさせることはない、ということを
きちんと知っておくこと。
不必要なしがらみに絡めとられないことが大事。

・他人の身の上に起こったできごとに対して、
まるで自分のことのように一喜一憂しないこと。
たとえどんな不幸話や相談ごとを持ちかけられても、
それはあくまで、他人の人生の問題であり、
自分自身のマターではないのだから、
感情移入しすぎたり、必要以上に親身になりすぎないこと。

以上、おしなべてわたしに「できていないこと」だったので、
少々がっくりきましたが、
自分のなかのぼんやりした懸念が、確信に変わりました。

わたしはこのまま生きていたら、必ず再びうつ病になる。

自分自身を幸せにしてあげるためには、
改善する努力を惜しまないことが不可欠だな、と。

自覚していますが、
いままであまりにも、そんな努力を怠ってきた気がします。
それどころか、むしろ“万事に入れこむ”自分を美化していました。
それが正しいことなのだ、と勝手に信じて……

オンナ32歳、これからでもしっかりやり直さないと!

同僚くん、目からウロコのアドバイスをありがとう!!

【写真】路上のあずまやで気ままに将棋を指すひとたち@中国・紹興市
このひとたちはぜったいに「ラク~に」生きているはず。ウラヤマシイです。

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さびしいときの男トモダチ

しごとに疲れて、
同じことの繰り返しの毎日にうんざりして、
とってもとっても楽しみにしていたはずの年末年始のお休み。

でも、わたしのホリデイは、
元気なふつうのひとたちとはぜんぜん色彩の違うもの。

どこかへ行く予定もない。
誰かに会う予定もない。

もちろん、予定は自分でつくるもので、
どこからか降ってくるものではないけれど、
わたしは予定をつくらなかった。
つくる元気もなかった。

何もすることがない。
したいことが何もない。
ただただ、毎日が無為に過ぎていく。

世の中のひとびとから、とても遅れをとっている感じ。

休暇らしい休暇もなく、
新年の目標も決意もなく、
また、このままつまらないしごとの毎日に戻っていくの?

寝ても覚めても、こころがつぶれそう。

そんな状態も、もう病気のせいにはできないから。
自分の力だけで、どうにかしていかないとならない。

苦しくてしかたなくて、
ふと、ずっと連絡をしていない男トモダチたちに、
「元気?」 ってメールを書いてみた。

無条件に、わたしを甘やかしてくれることばが聞きたくて……

こんな自分、サイテイだけど、
わたしはいま、何かとても大きな、よりかかれる何かがほしいのです。

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